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私はみんなのことがちょっとずつ嫌い。

私は私の描く絵も書く文も好きじゃない。


私はいつも

劣等感に押しつぶされそうで

私の身体は

コンプレックスの塊でできている

って、そう思う。


毎日の生活は楽しいし、友だちとも家族とも関係は良好で。何かを作っているときだけ、どうしようもなく苦しくなる。じゃあ、なんで絵を描くんだろう。文字を書くんだろう。

絵を描いたり、文字を書いたりすると嘘がつけなくなる気がする。いつもの生活だって嘘をついているつもりはないけど、包み隠してるところはある。そちらのほうが問題なくスムーズに暮らしていけるから。私はいつも少しだけ猫をかぶる。

けど、ひとたびペンを握れば、筆を掴めば
私は身包みを剥がされて、嘘をつけなくなる。

私は嘘をついている私のほうが好きだ。

素の自分はなんだか、痛々しい。
自分を何処からか、俯瞰で見ているもう1人の自分がいて、その人にいつも馬鹿にされているような気がして身が竦む。

前、友だちと興味半分で、中華街の占いに行ったことがある。恋愛の話、仕事の話、何を言ってもらったか、もう忘れた。けど、ずっと覚えていることもある。

そのときの占い師さんの口の動きまで思い出せそうな気がする「あなたはやりたいことと、楽しいって気持ちが比例しないよ」自分のわだかまりを上手く言語化してもらった気がした。

こういう自分の都合の良いことばかり覚えているから、みんな占いにハマるんだな…

やりたいことをしてるはずなのに、いつも楽しくなかった。どちらかというと、いつも及び腰で「帰っていいよ」って誰かに言ってもらえたなら、全速力で帰りたいって思っていた。

私はつくることをやめたら諦めたら、もう少し、幸せに、もう少し安定して暮らせるような気がする。


けど、少し経つと
大きな声出せないのに、
自分のつくる話好きじゃないのに


脚本を書きたくなる。


自分のつくるものより良いものを間近でみながら、作り続けるのは苦しい。

なのに、映画館に通っては、美術館に通っては、
気づいたら、自分のつくりたいものを想像してる。


私は作品を作りだすと、みんなのことが羨ましくなる。みんな私より、楽しそうにみえるから。


マックに寄り道いいな、締切無いんだ、いいな。

映画撮らなければ、本作らなければ、
こんな公開処刑みたいな気持ちにならなくてすむんだ。いいな…

ってこんな感じでいいねの嵐が止まらない。

でもきっと、私はずっとつくり続けるから、
みんなのことちょっとずつ嫌いだと思う、ずっと。


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