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美術の壁で心が滲んだ記憶をスキップで軽々と越えたい。


学芸員に憧れていた。
点数をつける美術教諭にはなれないと思っていた。


実力主義社会を感じた

幼い頃から色塗りが好きだった。キラキラ光るものや、カラフルなものをみて胸をときめかせていた。
美術科の学校に進学したのだって、あながち偶然では無かったと思う…でも周りにいるみんなほど明確な意思や目標のもと入学したわけでも無かった。

入学初日から配られた、使い方のわからない美術用品。なんかすごいところに来ちゃったな。どこかずっと他人事だった。1日に何時間もデッサンをしている友だちもいた。私は誰よりも早く学校へ行き、教室で寝てた。寝ることのほうが絵を描くより好きだった。その頃の私は今より自分に忠実で、わがままだった。絵を描く子と、描けない子の括りがだんだんとできてきて、私は当然描けない子だった。

私は形をとれない。写実もできない。
真面目に形をとろうとして、ピカソのような絵になる。美術は好きだけど、そうは言えない空気だった。私には実力がなかった。

「人より ほんの少し努力するのがつらくなくて ほんの少し簡単にできること」

朝ドラ『エール』の中で言葉だ。この言葉の後に、主人公に向かって担任の先生はこう続ける

「それがお前の得意なもんだ。それが見つかれば しがみつけ。必ず道は開く。」

高2のとき、私がしがみつかなければならないのは、写真と映像だと思い、一眼レフにのめり込んだ『エール』のこの台詞を聞いたとき、私が必死にカメラを持ってたあの時間は、しがみついてたんだと腑に落ちた。すごく楽しいとも、大好きとも違うけど、私はカメラを離したくなかった。多分、何処かへの道を必死に模索していたんだと今となっては思う。

絵が下手で、絵が好きで何がダメ?

けどそもそも当初、私がこの高校に入学したのは絵が好きだったからで、絵が下手で、私はいつの間にか、絵が好きだと言えなくなっていた。押し込まれるように、詰め込まれる美術史も拒否したかったし、パースは一生とらないと高校在学中に決めた。私はパースはとれない。

多分、上手じゃないと好きと言っちゃいけないというルールは無い。でもきっと自分が苦しい。美大に進学するには、デッサンは必ずだし、パースをとらない、私はパースとれませんからも通用しない。

今はもう写真のほうが好きだ。私の得意はこっちだと分かっていた。でも、色を0からつけられるのは絵しかない。塗り絵が大好きで、1ページが終わるのが惜しくて、泣いてた私に顔向けできない気がして、ちょっと悔しくて涙がでたときもあった。絵のことをずっと好きだと言って、私の得意だと言ってみたかった。

美術に敷居や壁があるなら、私はそれをトンカチでコツコツたたきたい

だんだん大人になると、心が頑丈になってくる。

ハウルに出てくるソフィーも言っていた。
「歳をとると悪知恵がつくみたい」って。

悪知恵とは少し違うかもしれないけど、やっぱり強かにはなるし、過去の自分の弱々しさに情けなくなってちょっとだけ同情したりする。

やっぱり、美術好きだよね。誰かに評価される必要は無いよって

言いたくなる。勉強は苦手だから、今から大学に通って学芸員になる未来はこないけど、きっと楽しくなるよって。

美術はよく敷居が高いと言われるけど、その敷居は、誰が決めたんだろうかと疑問だった。

好きな映画監督のトークショーに行ったとき、
「無断転載をどう思いますか」という中国出身だという男性の質問にその監督は真摯に答えを探していた。

中国出身の男性はずっとその映画を観たいと思っていたが、その映画は自分の国では公開されず、配信もされなかった。そんなとき、無断アップロードされた映画を見つけたという。 

その話を聞き、監督は、

「僕はそれが作品を知ってくれるきっかけになったなら、無断転載が絶対ダメとは思わない」

「けど、その映画が公開されるまでにはスタッフ、キャストものすごい数の人が関わっていること、そして何より映画館で観てもらう映画が音も映像も1番良いから、劇場にきてもらえたら、それが一番嬉しい」(という感じのニュアンス)の話をしていて、その言葉が、今もとても印象深く残っている。

どこからが敷居で、どこまでが作品を守るルールだろうか? 作品が自由になれば、優しくなれば、受け手側に託されるものも大きくなっていく。

社会全体がパパラッチと言われる世の中で、私たちの選択1つが、未来の私たちの自由の割合に大きく影響するような気がしてならない。


誰だって、受け手側にも作り手側にも簡単になりえる時代に、誰にだって平等に作品が届けられますように、誰かへのナイフにならず面白いが詰まった贈り物になりますように💫






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