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真っ白で賑やかから離れても、薄暗くて静かな場所で出会える作品を作りたい


写真の大会で準大賞をもらったことがあった。

「すごいね」「やったね」の言葉に浮かれていた私とは違って、当時写真を教えてくれていた先生は浮かない顔だった。

係員としてその大会に参加していた先生は、私の作品の評価に関わることは無かったが、作品の総評を聞く機会があったと言う。

私が大賞から外された、1番の理由は
「派手さが足りない」「SNSの力は大きいから、」要は「インスタ映えしない」という理由だった。


学生のとき自分の思うまま自分が作りたい作品を作ると、「学生らしさが足りない、健全さが欲しい」とアドバイスを受けることが多かった。

けど、学生らしさと健全さを追い求めても、その先に、私が作りたいと思う作品は無かった。

別に不健全な作品を作っていたつもりは無いのにな(´-`).。o  と17の私はちょっと凹んだりした。


明るいほうがいいに決まってる。


それは私も概ね同意する。


苦しかったり、辛かったり、そんな毎日が続くより、笑っていられる時間が1秒でも長く続けばそれ以上にいいことってきっと無いと思う。


けど、全てが真っ白で、笑顔の絶えない空間で作られたものだけが良い作品なのだろうか?


苦しくて、辛くて、
今にも泣き出してしまいそうなとき、私は映画や本や、美術館に飾られている絵に助けてもらったことがある。

それは全部が全部日向のような作品ではなくて、

日陰みたいで、埃をかぶってて、
元気の無い自分でも、みることを誰かから許されているように感じたものだってあった。

そういう作品だけが、自分の側にいてくれるんだと思いこんでいるときもあった。


日向の作品に憧れている。真っ白な壁に光が差し込む展示場に自分の作品を並べてみたい。ただ、


ずっと光のほうに憧れながら

これからも私は学生らしくない、健全じゃない作品を作り続けるのかなと思う。もう23さいだし、学生じゃないし、いいかなと自分を納得させながら。


『光』

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