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エッセイ  天才がいっぱい

 書き続けるという事には、大変な忍耐がいる。始めのうちは、質にこだわらなければいくらでも書ける気がするものだが、いずれ何も出てこない日がやってくることになる。

 書くという行為は、自分自身の人間としての深みと少なからず関わっているものだ。自分の中で積み上げてきた経験や考えや、そういった貯金が尽きてしまった時、もう二度と、何一つ書くことが出来ないという、錯覚に落ち込んでしまう時もある。

 もしあなたが読書が好きで、自分でも何か書きたいという思いが強いのなら、なおさらこのトラップにはまりこんでしまう可能性が高いと言えるかもしれない。

 人間だから、落ち込む時もあるし、自信を失う時だってある。しかしその不調が、才能や能力への疑念に起因するものであるなら、対抗する方法がない訳でもない。今日は、私が創意工夫の後に得た、悪趣味なスランプ脱出法を、あなたに披歴したいと思う。

 まず、あなたが読書好きなら、あなたの座る椅子から手の届くところに、きっと本棚があることだろう。本棚はいくつもあるかもしれない。が、その時は、あなたの近くにある本棚ほど、あなたの好きな作家の作品やお気に入りの一冊で一杯になっているのではないかと思う。

 きっとあなたは驚く。それこそがあなたに無力感を引き起こしている当のものだとは、つゆも考えない。
しかしながら、事実あなたは、天才に囲まれ過ぎているのだ。

 あなたが生粋の読書好きなら、現代の文学だけでは飽き足らず、古典の本がずらっと並んでいるかもしれない。あなたが更に読書に対して貪欲ならば、ことごとく純文学やアカデミックな本で、スペースが占められているかもしれない。

 あなたはきっと、暇があればそれらの名作を手に取ることだろう。 
 私で言えば、安部公房。開高健。倉橋由美子。ミシェル・レリス。フーコー。池澤夏樹も並んでいるし、トリは夏目漱石だ。
 
 図らずもあなたは、その古今の名作から、感覚の麻痺を受けてしまう。これらの天才に匹敵する文章でなければ、文学でもなければ創作でもないと、勝手に思い込んでしまっている。
 あなたは、天才たちに囲まれるあまり、自らが書くものの中にも、無意識に文豪レベルのものを求め始めてしまったのだ。タチの悪いことに、あなたはそのことに気が付いていない。

 あなたがあなたらしい文章を書くことに、あなたは満足できない。あなたにはもはや、不満の思いしか残らない。
 あなたの純粋な喜びは、自らの文章の中に文豪たちの痕跡を認めることに取って代わられてしまった。
 その時、かつて愛した文豪たちは、あなたのライバルとなっている。
 その時あなたは、きっと文豪たちとの競争を強いられているのだ。

 おそらくあなたは、天才ではない。同じく私も、天才からは程遠い。
 どこか問題でもあるだろうか。

 文学にしても、音楽でも、映画でも、この世は天才で溢れている。そしてあなたは、天才たちの傑作に、驚くほど簡単にアクセスできてしまう環境にある。
 この身近な感覚が、時に勘違いを生み、ひどい場合はあなたの大事なモチベーションをすら奪ってしまう。

 名作に囲まれて過ごす生活は、本来、豊饒なもののはずだ。これら名作の数々がもたらすスランプとは、なんとまあ皮肉なものだろう。つまらない副作用もあったものだ。
 こんな無益なスランプとはさっさと手を切って、豊かなものを豊かなままに受け取ろうではないか。
 そろそろ、私の悪趣味なスランプ脱出法を、聞いていただくのにいい頃合いだろう。

 すべきことは、実にシンプルだ。この時あなたは、駄作を読むべきなのだ。名作ではなく、いっちゃんつまらないと思う、駄作を。

 たくさんの名作にあなたは取り囲まれているのだが、あなたとその数々の名作たちとは、そもそもが相性がいい。それらの本は、あなたが素晴らしいと感じているからこそ名作なのであり、それらは、「あなたにとっての名作」なのだ。だからこそあなたは、何かしらものを書いて形にしたいと思えばそれらの名作たちを理想とするし、もし一度でもその試みがうまくいったとすれば、知らぬ間に、ますますあなたは、それらの名作に執着するようになる。

 その漠然とした執着が、じわじわとあなたを縛り上げていくことになるなど、きっとあなたは信じない。それらの本に対して、愛着すらあれ、まさか自分を苦しめることになるなど、考えに上らせることすら困難だからだ。
 
 がんじがらめになったその思考に、駄作の風を吹き込むこと。
 名作に満ちたこの世界の外側に、採石場の石ころの様にして転がっている、数多の駄作の存在を感じること。
 石ころとしか呼びようのない、そのつまらない本を、実際にページをめくって詳細を確かめること。
 これはひでえ、と呟きながら、そんな本でも実際に出版にこぎつけていて、実際にあなたの手元に収まっていること。
 その装丁の触感を通じて、それらの事実を受け入れること。つまり、そんな本でも出版されているということに、気付くこと。

 そこに気づいた途端、身動きとれぬほどの呪縛を課していたのが、実は自分だったことに気が付く。
 自分を縛っていたものが、空に浮かぶ雲の様に、あなたが思っていたような形でそこにある訳ではないことに気が付く。
 こういう風に書かなければならない、というお手本など、初めから存在していなかったのだ、と、ここにきてあなたは思い至る。

 ポイントは、コテンパンにやっつけてしまうことだ。それなりの本だと徹底的に出来ないことも起こり得るから、この本なら徹底的に馬鹿に出来るという本を、はじめから一冊、その辺りに置いておく。
 躊躇せずに、いきましょう。私は、日ごろから何冊か準備してあります。
 なんせ、人間が悪趣味なもので。

 文芸誌を読めばわかるが、新人賞の選考委員たちは、既存の枠組みに収まらない作品を、ということを皆揃って口にしている。選ぶ側が待ち望んでいるのは、あなたにしか書けない作品なのだ。

 自戒を込めてあえて書くが、あなたの、私の、本棚に収まっている世界中の名作に似たどんな作品も、出版社や選考委員には求められてはいない。

 名作の巣は、素晴らしく居心地がいい。
 あなたはどちらのタイプだろう。名作に囲まれ、味わい続けるタイプか。いずれは巣から出て、自分なりの飛び方を試すタイプか。どちらにも優劣などないことは、言うに及ばない。
 私は後者でありたいと考えているが、温い巣から飛び出すには、まだまだ時間がかかりそうだ。


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