尻を見に行ったら愛があった

日頃、自分があまり集中して見られないという理由から、映画はあまり見ないのだけれども、人に勧めてもらったからという理由で久々に見てきた。
最初は本当に軽い気持ちでというか、その人の見てきた感想の熱量がすごかったのと、勧めてくれた人の推しが出演していてその尻が見れるという情報しか持ってなかった。あらすじさえも知らなかったが、自分一人ではしないことをするのもいいだろうと思って、気分転換がてら映画館まで観に行ってきた。

これが想像以上に良かった。あまりにも良かったので、感想として残しておきたくなり、つらつらと書くことにした。

何の作品かというと、「BAD LANDS」という作品だ。書籍の『勁草』という作品を映画化したもので、大阪の特殊詐欺集団の一員として受け子の差配をするネリという女性とその弟のジョーが繰り広げるクライムサスペンスとなっている。
残念ながら、もう上映は終了してしまった。何かのサブスクとかで見れる機会があればぜひ見てほしい。

ここから先は容赦なくネタバレをするので、気にする人は読まないようにお願いします。




最初の感想が非常にバカ丸出しで恥ずかしいのだけれども、全員の演技が上手で作品の世界に引き込まれてしまって驚いた。自分だけでは、アニメの映画化されたものぐらいしか見なくて、生身の人間が作る映像作品を見たこと自体が久々だった。
いい歳になってから見ると、小さい頃は見えなかったものが見えるようになった。演技の巧みさというか、視線や表情、そのキャラクターなら言葉選びはそうだよなという、キャラクターとして魅せるものとその積み重ねに現れる解釈が、昔よりほんの少しだけどわかるようになった。


その色々見えてきた中で、一番良かったのが主人公ネリの弟のジョーだった。めちゃくちゃ感情移入して、観てて少し泣いてしまった。

映画の佳境のシーンで、ジョーは胡屋(ネリのタチの悪い元カレ)を撃ち殺しに行く。自身がネリに向けた気持ちは届かず、胡屋が生きている限りネリが心安らかに過ごすことはできない。この複雑さを抱えて生きていけるほどジョーは大人ではなく、じっと見ないフリができるほど子どもではなかった。

だから、自分の人生を賭けて撃ち殺しに行った。賭けには成功したが、卓に張ったのは胡屋の命を取ることだけで、その勝ち分を活かすことはできなかった。取った後自分がどうするかまで賭けに張らなかったから、必要なかったのだろうけれども。
当然のように、銃乱射事件の犯人としてその場で警察に追われ、僅かばかり抵抗し、最後は射殺された。


その時の山田涼介の演技が物凄く良かった。マジで。
ここまで書いたのは、ジョーの今際の台詞が良かったという話をするための前振りだ。これが演技で魅せるということかと一人感動した話をしたい。

最後の台詞は、胡屋を射殺した後警官に囲まれ、抵抗したため拳銃で足を打ち抜かれて、地下の駐車場で金網にもたれながら放った。
「勘弁してや・・・」
この一言が零れた後、ジョーは撃たれた足を庇っていた腕を上げ、発砲しようと動く。これを銃乱射魔の抵抗と見なした警官はジョーを撃ちぬく。ジョーは足元から崩れ落ち、最後まで顔を上げたまま、下げることなく絶命する。

このシーンが好きすぎて、ジョーならそうするよな、それがジョーって人間だよなって、解釈一致というか、こういうシーンが見たかったんだとしか言いようがない気持ちになっていた。

ジョー自身、胡屋を撃ちに行く時点で片道切符であることはわかっていたと思う。胡屋に襲撃をかけれる時期があの記者発表会場しかなくて、あんなところで人を殺せば言い逃れができない。だから、会場で胡屋を見下ろすときのジョーはあんなに冷え切った顔をしていたのだろう。
手すりをなぞり、壁にもたれかかり、自分の命がまだあることを感覚として確かめ、その確かにある命をくべた。覚悟が決まり切った人間の動きではない。まだ、惜しいと思うものか恐怖心か、何か思うところがあったからあんな動きをしたのだと思う。
その抵抗を振り切り、胡屋の近くまで歩いていき、ここで撃つと決めた距離で仕留め、逃げた。胡屋を仕留めることに成功したが、ジョーはもう死ぬしかない。

その後しばらく逃走するものの、警官から足を撃ち抜かれて逃げられなくなった。
そのときの心境を語るのに、「勘弁してくれや」はあまりにも雄弁すぎた。
自分が死ぬしかない状況への諦念が、撃たれた足の痛みが、ここまでしてもネリに自分の気持ちが届かなかった嘆きが、最後まで使命を果たしたけど何にも成し遂げていないのではないかと感じた虚無が、語り尽くせぬほどのジョーの絶望と成し遂げたことへの僅かな達成感が、ジョーが出せる最も豊かな言葉で紡がれている。
ジョーは漢字が読めないほど頭が悪く、ネリに最後に残した手紙でも小学生のような内容しか書けていない。そのジョーが言っても違和感がなくて、詰まりに詰まった気持ちがあって、誰に向けた言葉でもなかった。それはジョーが自分に踏ん切りをつけるための言葉で、この零れ落ちた一言の後、痛みに抗って前を向いて進もうとし、その場で死ぬ。

このシーンが一番解像度が高く観られたので一番良かった。
ネリが最後旅立っていくシーンとか、曼荼羅の命の使い方とか、良かったシーンはたくさんたくさんあったんだけど、文字にして残したいと思ったのはジョーの話だった。ネリに仇なす人を殺めることが使命のような人生だったかもしれないけれども、それは命を使い果たすべくして使ったもので、だったらそこに愛はあったと僕は思う。

この「勘弁してくれや・・・」の一言にこれだけジョーという人間を詰め込めるのかと思い、月並みな言葉だけれども、映画って良いなと思った。小説はたまに読むけれど、それとはまた違った良さを再確認できた。
演技の巧みさ、世界観の作りこみ、人間関係の描写、これらを組み合わせて、ありもしない一場面をあったものに限りなく近づけるってのはこういうことなのかと、いたく感動した。山田涼介の演技が良かったのよ。いい役でした。

ジョーにはここまで感情移入ができたのに、ネリの気持ちはあんまり解像度が高くならなかった。僕にはネリは強すぎたのかもしれない。ただ、曼荼羅に頼みごとをするときに、軽く何かを触ってはずみを付ける動作は、信頼の証なんだなと思った。他の人のときは不敵な笑みを浮かべて首をかしげて、手は臨戦態勢なんだよな。手を軽く動かすのは曼荼羅だけなんよね。
曼荼羅がネリを送り出すシーンも良かった。曼荼羅はネリに色々と語るのではなく、タクシーの運転手に怒鳴るのもすごくわかった。自分はここまでで大丈夫だよ、ネリの後のことはネリ自身に任せるし、自分のことは任された。ってのは、ああやって伝えられるんだなと思った。あれが命を使う男の語り様か。
等々、色んな場面であれはどうだと書けることはあるのだけれども、書き散らかってしまうので、これくらいにしておこうと思う。ジョー以外にも魅力的なキャラがいて、それがジョーの良さをまた引き立てているんだよね。

また何か、こういう見ごたえのある映画は見たいなと思ったので、たまには映像作品も見てみることにする。


最後にあれなんだけど、尻はちゃんと見れました。きちんと話聞かずに観に行った僕があれなんだけど、尻は映画の本筋と毛ほども関係なくてしかも男の尻だった。なんてこった。きちんと人様の推しの性別確認しとくんだった・・・。




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