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最近の記事

尻を見に行ったら愛があった

日頃、自分があまり集中して見られないという理由から、映画はあまり見ないのだけれども、人に勧めてもらったからという理由で久々に見てきた。 最初は本当に軽い気持ちでというか、その人の見てきた感想の熱量がすごかったのと、勧めてくれた人の推しが出演していてその尻が見れるという情報しか持ってなかった。あらすじさえも知らなかったが、自分一人ではしないことをするのもいいだろうと思って、気分転換がてら映画館まで観に行ってきた。 これが想像以上に良かった。あまりにも良かったので、感想として残

    • 研修を受けて

      随分と久しぶりになりましたが、久々に感想をタラタラと書きたくなったので書くことにします。 中身は省庁へ自治体からの研修生として派遣された内容の話ですが、自治体で働く人が仕事にあたって役に立つ話は書いていません。 大前提として、自分がどこの省庁に派遣されているかを明かす気もなければ、来て半年も経ってない人間が国レベルで何かを語れるような驕りもないからです。 そんな話は所管省庁の担当者に聞いてください。 これから書くのは、来て半年で自分がどれほど無能であるかを思い知り、それで

      • すずめの戸締まりの感想

        ネタバレありの感想です。観てない方は、こんなつまらない所でネタバレを喰らわないで劇場に行ってお金を落としてきてください。 コンテンツはお金を払わないとまたやってきてくれなくなるので、ぜひ足を運んで楽しみましょう。 行くまでは面倒だけど、行ってみると意外と楽しいですよ。 見てきてすぐの雑多な感想を書きました。自分語りも含めて書いてるので、そこは適当に聞き流しながら読んでもらえたらと思います。 後、映画を見てだけの感想です。解釈違いとかがあれば、他の所がきっと正しいです。何

        • 悪口

          人に言われて嫌なことは人に言わないようにしなさい。 こういう規範というかマナーのようなことを叱らた時に言われたことは、人間をやっていれば一度か二度は人から言われたことがあるのではないだろうか。 そして、その中で真っ先に頭に思い浮かぶのは悪口だと僕は思う。 悪口といっても当然のように色々あり、中にはもう出るところに出るしかないようなものに始まり、親しい間柄でからかいの意味を含めてやるやりといまで幅広くあるかと思う。今回は、その範囲の名から中途半端なところの、ムカついたからいう

        尻を見に行ったら愛があった

          わからないものはわからない

          かつて僕は自分の人生を余生だと思っていた時期がある。やりたいことを成し遂げて、その後に自分の人生で長期的にやりたいことがなくなってしまったからだ。幸か不幸か、その前提はなくなってしまい、また人生をやることになってしまった。 その結果、強くてニューゲームができれば問題は少なかったのだろうが、現実には費やしたリソースとそれまでの人生への向き合い方は引き継いでしまったので、それを軟着陸させるのに手間取ってしまっているというところである。 かっこつけていいました。正直に言うとどうし

          わからないものはわからない

          コミュ力回復第一次計画

          こんばんは。名前は代名詞になりました。抽象度アップで身バレ危険度も低下、万々歳だ。 日頃大好きなTwitterをやっていると、コミュニケーションとは何なのだろうかみたいなやりとりが目に入って、やっぱTwitterは良いですねと思うと同時に、自分がどうしようもなくコミュニケーション能力(以下コミュ力にします)が低かった時を思い出す。 今の自分をリアルで知っている人やTwitterのスペース等でお話したことがある人に、僕のコミュ力が低かったと話をしてもまるで信じてもらえないのだ

          コミュ力回復第一次計画

          感想

          皆様、GWはいかがお過ごしでしょうか。僕は、引っ越し作業をやるつもりでいましたが、新居がまだ入居できない状態なので予定なしになってしまいました。その持て余した時間を使って、最近読んでハマったゴールデンカムイの感想でも書こうかなと思います。と言っても、自分の好きなキャラクターである尾形百之助の話ばっかりなんですけどね。 最終話までのネタバレを含むので、まだ最後まで読めていない人はこのページを閉じてください。ネタバレしてもいいやと思う方だとしても、何もこんなところでネタバレを食

          古いTwitterアカウント

          皆さんこんばんは。地方公務員界隈の皆様はこの3月いかがお過ごしでしょうか。人事異動というエンタメや、年度を締めに行くドタバタ、来年度の頭痛のタネが育ってきたりと、一息つく間もない時期かと思います。 そして、こんな時に限って大昔の爆弾が出てきて手を焼くことになったりしますよね。僕は今そうです。年度頭の自分より賢くなった故の悲しみかもしれません。違いますね、事務をちゃんとやれという話ですね、精進します。 まあ仕事中のドタバタはよくある感じなんですが、自分のTwitterでも爆

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          2月

          最近、月一ペースでなんやら書いていたので、その波を途切れさせたくないという自分への言い訳と続けることへの意地を込めて、少しだけ書こうと思う。 キツかった時の状態をさらっと書いたので、そんなにウジウジはしていない…はずだ。 追い詰められると人間こうなることもあるらしいというように、話し半分に見てもらえたらいいなと思います。 この2月、どうしようもなく長かった。28日しかないから短いはずなんだけれども、その28日重なっている1日1日が本当に長かった。いや、1日どころか1分すら長

          呪いのアイテム

          いきなり意味不明なタイトルですみませんというところなのですが、僕は呪いのアイテムを持っています。ただそれは、オカルトの要素が強い持っていると何かが起きるだの縁起の悪い場所にあった何かというものではなくて、僕が嫌いな人間からもらった贈り物を勝手にそう呼んでいるという、クソみたいなものです。 今回は、その呪いのアイテムとそれの思い出話でもしようかなと思います。心霊体験のような話を期待されていた方は、そんな要素は一切ないので、申し訳ないですが他を当たってやってください。 後、これは

          呪いのアイテム

          また何か書こうと思った話

          ここ最近、何かを書こうと思いつつ書き始めても、最後まで文章が続かずに挫折していた。僕は何も考えずにぼーっと生きてきた人間なので、何かを文章にして書き上げるだけのやる気も思いもほとんどない。だから、ここいらが潮時なのかもしれないと思っていたが、不意に、まだ書けることがあるのではないかという思いが芽生えた。 今回は、そう思った話を書こうと思う。 ほかの人は知らないが、僕にとっての文章を書く理由というものは自分のためであった。それが、面白いことをいいたいだの、自分の感情を表現し

          また何か書こうと思った話

          忘れられない日

          こんばんは。最近は色々なことに手を出して方向性が迷子になっているそこのです。でもそうやって、日々を機嫌良く過ごしています。 そうやって過ごしていたとしても、僕の捻くれて拗れている部分は特に変わることもなくて、まるで友達からの急な誘いのように、ある晩に不意に訪れて寝るまでお付き合いすることは変わらずやっている。人はそんなに変われない。 それはそれとして、こういう拗らせに至るには何かしらの原因があるもので、僕の場合はその1つの大きなモノに思い当たりがある。 そして、それがあっ

          忘れられない日

          「後悔したくない」とは?

          後悔したくないのであれば、後悔しない選択をするよりも、何故後悔しないことそのものを選択しないのだろうかと思ってしまう。 そうです、人の心がわからないとよく言われるタイプの人間ですね。 昔から、こういう表現を見る度に捻くれた見方をしてしまう。 いつからか、「後悔したくない」と言うのは、僕の中ではしっくりこない表現になっていた。 よくある文脈としては、選択を迫られた人間が、悩みながらも自身が望むことを決断するときの心境として語られるかと思う。誤解のないように言うと、もちろんこう

          「後悔したくない」とは?

          通勤風景

          社会人として働く人は、毎朝のように眺める風景があります。そう、通勤風景ですね。 テレワークが推奨されるご時世ですが、それが事務の非効率化を招く仕事をしているので、僕は未だに通勤をやっています。 身バレが怖いのでどうやって出勤しているかとか何が見えるかは具体的には書かないけど、方法はさておき、平日は毎朝同じ景色を見て出勤しています。 そしてその時間が僕は嫌いではない。 もちろん、仕事に行くのは好きじゃないのだけれど、家さえ出てしまえば仕事に行きたくない、という気持ちには諦め

          通勤風景

          少し前、「会話」というタイトルで僕はこう思ってますよみたいな文章を書くと、思ったより肯定的な意見をもらえました。ありがとうございます! なので、今回はそれをぶち壊すような話を書こうと思います。 と言っても、当然誰かを批判したりするわけではなく、自分が会話そのものをどう思ってきたかとツラツラ書いただけのものだ。 前回の話を「かく在りたい」という人に語る希望の話だとするならば、今回は「こうだった」というただの諦めの自分語りである。 あ、読む前に、画面の左上とか左下とかを押してみ

          会話

          コミュ力に困ってきた人間の、会話について思うところを感想として書いてみた。単なる愚痴や嘆きともいうのだけれど。時間を無駄にしたい人は読んでみてください。 会話のような、双方向によるコミュニケーションは、それが程よく行われることが心地よいのは誰にとってもそうで、例に漏れず僕もそうだ。雑談なんかなら特にそうだ。 だから、誰かに話を聞いて欲しいなと思って会話をすることもあるし、ある人に話を聞いて欲しいと思って会話をすることもあるし、あの人の話を聞きたいと思って会話をしにいくことも