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海峡を渡る風

このところ、日々が過ぎるのがとても早い。
うっかりすると一週間単位で飛ぶように過ぎてゆく。
このnoteも早く書きたかったけれど、上手く構成が纏まりそうになくて1ヶ月半も放置してしまった。

何十年も同じ背中を追い続けてきて、初めて“知らない土地までライブを観に行く“ということになった。
知らない土地へ行ってライブを聴くことは、少しだけ、疎外感を味わう行為でもある。
地域ごとにノリ方や盛り上がり方が違ったり、何だか置いてきぼりに遭うようなこともあるから。

特に小田さんは、幕間に“御当地紀行“というVTRを流してくれるので、“自分の地元のそこここに小田さんが足を運んでくれている“という喜びを、地元民は味わえる。
東京のライブでは、地元感がないのは折込み済みだから別に気にならないけれど、地方では特に地元民でない人間は疎外感を強く感じる。

それでも足を運んだのは、首都圏のチケットが殆ど取れないという事情と、もうあまり何度もライブを観る機会はないかもしれない…もしかしたら、これが最後になるのかもしれない、という思いからだった。

行き先は、山口。
当然、行ったことの無い土地。
会場までの交通手段も、最寄りの空港や駅さえも知らないので、調べるところから始まった。
色々と検討した結果、行って帰ってくるだけではつまらないから、だったら観光もつけちゃえ!と、敢えて最寄りの山口宇部空港を使わず北九州空港に降り立ってみることにした。

宿泊地は、門司にした。
何だかレトロで可愛らしい街だと聞いていたのと、開業当初から気になっていたデザイナーズホテルに決めた。
(というか、シティホテルはそこ一択しか無かった。)
お土産や寄り道のことを考えて、帰りは福岡空港から。
こんな変則的な行程を組んだのは、いつ以来だろう…旅行会社にいた時代、少々捻った希望を持って来られた時は、高いパッケージ旅行を売るよりもワクワクして楽しかったことを、ふと思い出した。

ライブは、とても楽しかった。
ほんの3mの距離で歌う小田さんは、相変わらず背筋が伸びていて、172cmという身長よりも大きく見えた。
30数年の間には、同じように至近距離で歌う姿を何度か観てきたけれど、今回が特別だったのは、空調のために開け放した扉の向こうの緑を背負って、明るい時間から“緑の街“を聴くことができたからかもしれない。

北九州空港から明るいうちに渡った関門海峡を、今度は暗いなか車を走らせて、門司へ戻った。
時間は22時前。
日曜の夜の港町には殆ど開いている店がなくて、ホテルの目の前のドックが静かにライトアップされているだけ。

少し町を歩き回って、小さなバーを見つけて入ってみる。
そこに来ているタグボートの船員の若者たちや、水先案内人の方の会話を聞いたりしながら、夜が更けていく。
マスターは海外の山々をトレッキングしていて、長く店を閉じることもあるらしい。
店の作りが山小屋の中のようなのは、彼のその経歴に由来しているようだ。

港町なのに、山小屋コンセプトのバー。
ズレた取り合わせなのに、何だかとても馴染んでいるのは、この九州の端っこの港町が、外国船の出入りや、異文化や、色んなルーツの人たちを、緩く穏やかに全て受け入れて来たからかもしれない。

平日ならもう少しお店も開いているのだけれど…と申し訳なさそうに話すマスターの、“またいつか遊びに来てね“という優しい言葉を背に、車も殆ど通らない大通りに出た。
ホテルまでの道をゆるゆると歩けば、今はもう観光用にしか使われていない古びた線路。
寂れた港町の風景と夜風は、心地良かった。

カーテンを開け放したホテルの部屋の窓からは、小さな跳ね橋が見える。
新月だったから、暗い海に橋の灯りが反射しているだけだったけれど、満月だったらきっと水面に映る月が綺麗なのだろうと思った。

今日、イントロの最初の3音で飛び上がるほど喜んだ“夏の日“。
4人になって再出発した当時のMVはどれもストーリー仕立てで、その後の小田さんの映画作りへの布石になったとも言える。
何度も繰り返し観たそのMVをYouTubeで再生し、日付が変わっても小さなスマホの画面を眺めていた。

翌日は、晴れ。
昨日真っ暗だった海は、今日も穏やかだった。
フロントの大きな窓からは、心地よい海からの風が吹き込んでいた。
小さな町を歩いて、煉瓦造りのレトロな建物を見学。

平日だというのに、誰も慌ただしく働いていない。
小川洋子の「ホテルアイリス」に出て来るような海峡の港町を、ふと思い出した。
時間の流れが違う。
この町にこのまま取り込まれてしまうのではないかと、少し怖いような気がした。
それでいて、そうであっても良いかもしれない、と片隅で思っている自分もいた。

多分まだ少し、5月までの慌ただしい日々が響いていたのだと思う。
心を擦り減らして仕事をしていたから。

海を渡る風が、心のささくれを優しく撫でて行った。
またいつか、この町に来てみようと思った。
昨夜の小さなバーのマスターは、海外の山を縦走していて、ふらりと再来しても店が開いているかは怪しいけれど。

こんな暑い日々が続いても、あの港町を渡る風は涼やかなのではないだろうか。
そんなわけは無いのに、そんな風に思っている私がいる。

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