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「こちら☆ユイ訪問介護看護ST」 認知症ケース 山本英夫の場合①序章

俺は山本英夫。今年で八十四歳になる。
生まれは神奈川の農家で四人兄弟の二男だ。
人も使っていたような割と大きな農家で、贅沢はできなかったが腹をすかして気を失うようなことはなかった。
兄とは十五も離れていてあまり記憶にないが、母からは戦死したと聞いた。
あの頃はしょっちゅう誰かが死んだと連絡が来て、みんな泣いていた。
負けると分かってるのに我が子を戦場に差し出さねばならないなんて、今思えば無駄もいいところだ。
俺はまだ小さかったが、やれることは何でもやらされた。
父親も戦争で死んでいなかったからだ。
母親一人で田んぼと子育て、一体どうやって生活していたのか。
その上俺を大学にまで行かせてくれた。
それについては感謝しかない。

母親からいつも言われていた。
男は一家を背負って家族を守るんだからね、男は泣き言なんか言うもんじゃない。
そうだ、男は泣き言言わず家族を守るものだ。
苦労をかけた母親にも楽をさせてやりたい。
それもあって俺は大学の時に、経済学を学び証券会社に入った。
お金を稼ぐには、お金のことを知るのが一番いいと思ったからだ。
そしてその判断は正しかった。
所詮人の金を右に左に動かして利息で儲けるだけのことだが、それはとても効率がよく利益率も高かった。
欲の皮が突っ張った客を手のひらで転がすのも気分が良かった。
人の金でやってるだけの事だから、俺に痛みはない。
そんな俺も適齢期には結婚もした。
上司の紹介で見合いをしたのだ。食品メーカーに勤める料理の得意な女らしい。
会ってみると、小柄で色白のおとなしそうな女で、堅実に家を守ってくれそうな感じがした。
実際笑顔も可愛らしく、出しゃばらず俺に寄り添う所が守ってやりたくなった。
それからまもなく結婚して、子供も一男一女をもうけた。
長男の高志は大人しく、従順で成績も良く優しい子に育った。
俺と同じ証券会社の仕事を選んでくれて嬉しい。
やはり男は金を稼げないとダメだ。
娘は誰に似たのか、気が強く頑固で言い出すと聞かん坊なところもあった。
長女の玲子はピアノが得意だった。
あれは昔、ピアニストになるとかたわけた事を言い出してえらく怒ったことがあった。
ちょっと得意なだけでピアニストになれるのなら誰にでもなれる。
音楽なんかで食って行けるわけがない。
どうなる事かと思ったが、結局銀行員におさまってくれてホッとした。
堅実に生きるのが一番だ。
反対されて挫折する程度なら、やってもモノにはなるまい。
ところで、いつのまにかあれはピアノを弾かなくなってしまった。
玲子のピアノは好きだったのだが。趣味でどこかで弾いているのだろうか?

こんな俺も定年退職後は、菜園を自宅の庭に作った。
家でいつでも新鮮な野菜が食べられるのは嫁も喜ぶだろう。
定年前は仕事ばかりだったが、定年退職後はのんびりと慣れ親しんだ農作業でもしながら、そこで採った新鮮な野菜で嫁に料理をしてもらえたら楽しいだろうなと思ったからだ。
嫁は本当に料理が上手い。何を作らせても美味しい。
毎日美味しいものが食べられる俺は幸せだ。

ところで最近うちの嫁が怒りっぽい。
いつもガミガミ俺に怒る。こんな女だったか?もっと大人しくて優しい女だったはずだが。
若い時はあちこち海外旅行にも連れて行ってやったり、プランド物も買ってやったり、贅沢させてやったのに。
感謝の気持ちが足らないのではないか?
嫁が言うには、お父さんはすぐに忘れると言うのだ。
認知症とかいうやつかもしれないから、検査を受けろと。
何が認知症だ。バカにするな。俺は呆けてはいない。
過去の記憶はこんなにしっかりと鮮明に覚えている。
そんな俺が認知症であるわけがない。
今朝も病院の予約を忘れている、とか言い出し無理やり病院に連れて行こうとした。
俺は予約なんかしてないというと、俺が行くと言ったから嫁が予約したんだと言う。
昨日は行くと俺は準備もしていたと。
誰の話をしているんだあいつは一体?
あいつの方が認知症なんじゃないか?心配になってくる。
とにかく最近、嫁との会話が成り立たないのだ。
心配だから、お前が検査をしろと言ってやったら一緒にしましょうと言う。
一人で検査は怖いから俺に一緒に行って欲しいのだと。
全く手間がかかる嫁だ。
仕方ないから一緒に行ってやることにした。
あいつは最近おかしくなってきている。

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私は山本晴恵。今年で七十九歳になる。
生まれは横浜で、鉄道会社に働く父親と洋裁師の母親の間に長女として生まれる。
本当は上に兄がいたようだが、生まれてすぐに亡くなってしまったようで、実際は一人娘となった。
母は私が五歳の頃に結核で亡くなってしまった。
その後父が後妻を取り、弟が生まれた。跡取りが生まれて父は大喜びをしていた。
その後妹も生まれた。
父からは一番大きいのだからしっかり弟たちの面倒を見ろと言われた。
後妻は優しかったが、弟妹と父母の間には何か違う絆のようなものを感じて寂しかったのを覚えている。
近所にピアノを習っている友達がいて私も習いたかったが、ピアノを買ってもらうのも先生に付くのもお金がかかるため、相談もせず諦めてしまった。
もし遠慮せずお願いしたら習えたのだろうか?

それから私は女学校に通い、卒業後は父親の知り合いの紹介で食品メーカーに入社した。料理が得意で食に長けていると思われたのだと思う。
でも本当は、料理はそんなに好きではない。
やるべきものとして教えられて、たまたま器用だったから上手くなっただけだ。
本当はピアニストになってみたかった。一度も習ってもいないけれど。

それから間もなくして、父親から見合いをしろと言われた。
証券会社に勤めているエリートらしい。
会ってみるとエリート特有の傲慢そうな所もあったが、彼も色々親切にしてくれて、友達もみんな勧めるので結婚してもいいかなと思った。

私には学生時代に好きだった、絵の上手な人がいた。
彼に描いてもらった似顔絵は今でも持っている。
でも一度も告白する事なく片思いをしている間に、彼は海外に行ってしまった。
私はいつも自分の気持ちを伝える事なく生きているような気がする。

結婚後は、専業主婦となった。主人がそれを望んでいたからだ。一男一女にも恵まれた。
郊外に大きな敷地の一戸建てを買ってもらい、毎年海外旅行にも連れて行ってもらった。
でも、子育てや家のことは一切してくれず、今で言うとワンオペ?とかで子育てをしてきた。昔はみんなそうだ。
今の人が羨ましい。
昔は海外旅行も行ける人が少なくて自慢もできたが、どこかに行くと私のやる仕事が増えるので、本当はあまり行きたくなかった。

長男は高志、長女は玲子。玲子がお姉さんだ。
玲子は私に似ず、元気で自己主張が強く一度言い出したら聞かない頑固な所が主人にそっくりだ。
でも生き生きと好きな事をしようとする娘を見ていると、自分が出来なかった事をしてくれているようで嬉しかった。
女の子には絶対ピアノを習わせようと思って、有名な先生にもつけてやった。
娘はピアノが好きで、ピアニストになるとまで言ってくれてとても嬉しかったが、
主人が激しく反対して結局銀行員にしてしまった。
それ以来あんなに好きだったピアノを娘は全く弾かなくなってしまった。
主人のせいだと思っている。
反対に長男の高志は、大人しくて反抗期もなく主人に言われるがまま、大学も仕事も決めてしまった。
あれで本当に良かったのだろうか、分からない。
でも、優しい子には違いない。
何か父親に歯向かうと、必ず私の育て方が悪いんだ、と言われて私が殴られたり責められたりするから、それから守ってくれてるような気がする。
息子にはもっと自由に幸せになってほしい。

主人が定年退職後に、何を思ったか庭に畑を作り出した。家が農家だから俺はこういうのは得意なんだ、と自慢げに言うけれど
水をやったり肥料をやったり間引いたりしているのは私だ。
定年しても余計な仕事を増やしてくれる。
収穫したら、料理でも振る舞ってくれるのかと思いきや、美味しそうに実ったぞ、と言ってあれが食べたい、これを作れ、と要求してくる。
主人が定年後、私に自家栽培という手間が増えた。
本当にやってられない。

その上、最近は主人の物忘れが病的になってきた。
五秒前に言った事も覚えていられなくなっている。
数年前の出来事を昨日の事のように言ってきたりして、明日は行かなければならないから準備しろとか。
心配なので検査に行って欲しいとお願いしたら渋々了解してくれた。
なのにいざ病院に行く日になるとそんな事言ってないと言う。
お前の方がおかしい、お前が検査しろと言い出すしまつ。
私も検査するから、一緒にしましょう、と宥めてようやく連れていくことができた。
このままこれが酷くなるのかと思うと、目の前が真っ暗になる。
誰か助けて欲しい。

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