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実写版バービーで思う事

実写版バービーを見た。私の感じた事。
超あらすじネタバレ。 

バービーは、社会的なメッセージがあると言われていて、
アメリカ国民が盛り上がりすぎてバービーとオッペンハイマーをはしご鑑賞するのが流行って、面白おかしく作ってしまったバーベンハイマー炎上画像とか、
中国が勝手に決めた九段線を入れたようなクレヨン地図とか、
色々配慮が欠ける、とかも言われて炎上したりしているが、
どちらも映画の内容には関係なく、
それを差し置いても、この作品のメッセージ性はリスペクトするものがあり、
とてもエンターテイメントで楽しい映画。
演出も美術も衣装も音楽も、色々なメタファーとして示唆しながらも、ファンタジーとして単純に楽しめる部分も大きい。

バービーランドは、男性中心で動く世界の構図の反転。

しかし女性ばかりなので戦争は起こらない。

たくさんのバービーは生き生きと「私であるだけで認められる世界」を表すとともに、
現実の世界の男性をも模しており、
役付きも、賞を取るのも、全部バービーであることは、
人間界では決定権を握る部分を全て男性が奪ってる事を皮肉っている。
KENは、妻とか母とか役割で呼ばれる女性のメタファー。
バービーのおまけのような人生を送るKENは、
自分である事を認めてもらえない、自分の希望は障害される、権利の低い女性の人生のメタファー

そんな中、主役である「幸せな定型型バービー」に、死を思う感情と老化現象が発生する。

いつでも綺麗で素敵なバービーでなくてはならないのに、
太ももにセルライトとか、ヒールの履けないペタンコ足になってしまうとか、ありえない!
定型型バービーだから、綺麗以外に取り柄がない。

バービーは、壊れたものを直してくれるヘンテコバービーと呼ばれるバービーの元へ相談に行く。

そのバービーは、髪を切られ、足を折られ、顔にペイントされた哀れなバービー。
酷く遊ばれるとこうなるのだと。
ヘンテコハウスには、廃盤となったバービー達も住んでいる。

そしてヘンテコバービーから、
その定型型バービーを所有していた女の子、今は母親になってる女性の変化が、バービーに影響を及ぼす。その子を探して元に戻せると言われる。

それを解決するために、バービーとKENは人間界へ。
「定型型バービー」である自分を所有していた女の子、今は大人になって母親になっている女性を探すために。
(のち、グロリアと名前が判明。マテル社の秘書をしている)

現実世界とバービーランドは、シンクロして影響しあっている。
男性が牛耳る現実世界で何かあれば、
女性が幸せに暮らすバービーランドにも影響が出るという設定。

女性と男性は互いに影響し合い繋がっており、
片方が何かをすると反対側が被害も含め影響を受ける、という状況を示唆しているのかもしれない。

自分達中心で作り上げられたバービーランドから来たバービーは、
当たり前のように「自分達は尊重され讃えられる」と思って、現実世界にやって来る。

しかし初めて見る現実世界では、
男性が人生を謳歌して、男性が世界を動かし、女性は蔑ろにされている。
そして定型型の女性となっているバービーは、いきなり性的対象として視姦され、侮辱されるのだ。

自分は自分のままで尊敬されみんなを幸せにする、と信じていたバービーは、自分が見せ物のように侮辱されている事にショックをうける。

かたやKENの方は、男が牛耳り、謳歌し、女性を召使いのように扱う現実世界において「歓喜」する。
俺が俺で居ていい世界だ!俺が認められる世界だ!
これが俺が求めていた世界だ!と。
馬の事がやけに気に入ってるKEN。馬は男根のメタファーなので、男性性のアピールアイテムなんだろう。ちょっと馬鹿みたいで面白い。

その心の変化の過程を見ていると、何だか女性が、女性の権利を獲得しようと闘い始めた時代の女性活動家を見てるようで、心がギュッとなった。

私たちはここにいる、私たちも人間だ、誰かのオマケではなく主体性のある1人の人間と認めてほしい、そう願う女性達とシンクロした。

しかしKENは、その男社会の現実でも蔑ろにされる。
教養がない、資格がない、できる事が何もないから、認められないのだ。

これは、教育の機会を奪われていた女性達が、いざ仕事をしようとすると、全然雇用してもらえない状況とシンクロしてくる。

いや、現実世界の男性にも当てはまるだろうか。
社会的に勝ち組に入れない男性のメタファーとして。
そして現実世界では、その承認欲求は、家庭内の家父長制で補完される。

そしてKENは、若干の失意と共に、そのまま1人バービーランドに帰り、「女性を洗脳して」バービーランドを男性が中心になれる
「KENランド」にしてしまう。
家父長制で承認欲求を補完するってやつをやるわけだ。

さて現実世界に残っているバービーは、自分の所有者であるグロリアを探して学校へ。
そこにはグロリアの娘であるサーシャがいる。
ゴリゴリの若き人権活動家を模しているようなキャラクターとなっている。
そしてサーシャから、あなたみたいなステレオタイプの女性が女性の権利を貶めている、ファシストだ、とまで言われる。
そして印象的だったのが、サーシャが言う
「私はあなたにエンパワーされなくても、自分ですでに"力"を持っている」

最高!!

定型型バービーは、今まで赤ちゃん人形で、これからの人生でやるべき役割を学ぶような、「お世話の練習」をして遊ぶしかなかった女の子たちにとって、
かわいいだけの定型型人形ですら、「お世話遊びをしなくていい」画期的な自分解放の人形だったのだ。

それを、サーシャは、「男性目線で都合よくかわいいだけの女性が正しい」と思わせてしまった諸悪の根源だ、というのだ。

徹底的にアイデンティティを破壊されたバービーは、抜け殻のようになってバス停に座っている。
周囲を見渡すと、あらゆる年齢、容姿、男女がそれぞれに生きていて、幸せそうだったり、悲しそうだったり、
何一つ同じものはない。
それでもなぜかそれがキラキラして見えるのだ。
隣には皺くちゃのお婆さんが座っている。
その人を見てバービーは、「綺麗ね」と呟く。
「知ってるわ」とお婆さんは笑う。

バービーが美しさは一つではない事、それぞれに人生がある事を知るシーン
とても気に入っている。

さて現実世界のバービー製造会社のマテル社は、この異常事態に大慌て。
至急バービーを回収せよということに。

バービー自身もマテル社に行けば解決すると思っていたが、どうもそうではないらしい。
箱に回収されそうになる所を逃げ出し、その過程で
秘書である元バービー所有者のグロリアと出会う。

出会ったらすぐに分かる、と言われたとおりお互いはすぐに理解する。
そしてバービーの老化現象は、グロリアが現実世界で、娘との関係性が悪い事や、夫婦の事、会社での低い地位や、色々な悩み事を思いながら考えた「死を思うバービー」の試作が理由でもあった。

逃げ出したバービーを助けるために動くグロリア。
途中娘のサーシャも巻き込みながら、
3人でバービーランドへ戻る事になってしまう。

それを追うマテル社の役員達。
女性の人形を作る会社の役員が、全員男性である事や、単純お馬鹿キャラなのも笑える。

そして戻ったバービーランドは、
KENの洗脳により「KENランド」と化している。
あれだけ個性があり、才能があり、自信に満ち溢れていたバービー達は、自分を無くし家政婦のように傅き、男性に寄り添ってしまっている。
そして考えなくていいから楽でいいわ!最高!とまで言い出す。
所有され無思考でいる事が楽だと思わせられている。

KENはバービーの家を勝手に改造して住み着いてしまっていて、憲法も男性優位に改正すると言い出している。

途方に暮れたバービーは、グロリアとサーシャと共にヘンテコハウスに。
そこでグロリアは、現実の世界でも、バービー世界でも、男性優位で女性を蔑ろにする現状に怒り、
女性の置かれた環境や障害を憂いた、長い長い心の叫びを吐露する。
ここで泣けた。本当に泣けた。
保存版と言えるくらいのセリフだった。

そしてそれを聞いた、そこにいたバービー達はそれで洗脳が解ける。

そこからバービー達の反撃がはじまる。

男達の「俺が1番でありたい」という承認欲求を揺らし、自然に互いに諍いを起こさせるように仕向けるのだ。
男性が戦争を起こすのは、「俺が1番でありたい」というボス猿根性が原因なんだろうな、結局きっと。

バービー達の洗脳は解け、自信を取り戻し、
KEN達は争い、疲れ、「こんな事がしたかったわけではないんだ、ただ自分である事を認めて欲しかった、ただ一緒に暮らしたかっただけなんだ」
と、心情を素直に吐露する。

俺が俺が!と闘い続ける男達の世界は、男達自身をも傷つけている。

ステレオタイプな女性像は、女性の尊厳を傷つける。

太っていても、チビでも、黒くても白くても黄色くても、髪が何色でも、目が何色でも、頭が悪くても、賢くても、運動ができても出来なくても、絵が描けても描けなくても、みんなを笑わす事ができてもできなくても、大人しくても元気でも、
みんな自分である事を、認めてほしい。
いや、誰かに認めてもらえなくても、そのままで居ていい権利。
その大切さと、それが奪われる事の悲しさ。

そんな事を思いながら、女性はもっと洗脳から解けて、自信を取り戻し元気になってほしい、と切に願うのであった。

バービーは、誰にとっても、とても素敵な映画だった。

そしてバービーの映画が素晴らしかったと共感できる、
一緒に行った男女含めた友達と何時間も色々な語り合いがとても有意義で心地よかったのです。

最後に、個人的にはグロリアが1番共感できて、
サーシャはこれからの女性を担う人として、期待を込めて応援したくなり、
唯一家父長制に毒されない、いつでもブレない男キャラの頑張っているアランはいい奴で、
KENは、私であり、社会的弱者であり、男性そのものでもある。


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