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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑬


前回はこちら。


13. 「なりたかった男」と、再び演劇を

 これまでの経緯を読んできた方には、概ね稲田が辿った大学生活の道筋は明らかになっていると思う。今回の記事にいきなりたどり着く人もいるかも知れないから、ざっくりと纏めると、一浪して大学に入った私がサークルの新歓で彼と知り合った時、彼は丁度大学五年目のスタートで、その次の年も卒業せず、彼が卒業する年には私は大学三年生だったということである。別れが訪れるのは、彼が就職浪人中で私が四年生の秋だが、既に夏あたりから距離を置いていた。基本的には温厚で優しく、ドストエフスキーを始め文学が好きで一見知的だが浮世離れしていて、ちょっと太宰治を気取っている稲田にはモラハラ気質とかマザコン気質とか色々な問題が隠れていて、最初はちょっとそこらへんの男とは違う!と勘違いした恋愛経験値ほぼ0だった私も流石に三年近くも付き合うと疲れ果てて、モラハラという言葉は当時知らなかったものの兎に角一緒にいると窒息するような感じがして、時間はかかったけれど逃げ出した訳である。
 稲田とのトラブルには、数多くのモラハラに加え、ある意味モラハラより辛かったのだが演劇関連が多かった。サークルの芝居に絡んで、色々と軋轢があったからである。約束(少なくとも、私にとっては約束に聞こえた)を反故にされたり、これからそのことを書いていくのだが、三年目になって、NNのセクハラ騒動によって、急遽演出と演目を変えなくてはならなくなったために一度は引退状態だった稲田が返り咲いた時に、一言で要約することはできないが酷く複雑な状態になったりと、困難な時期だった。まあ、そのことがなくても、やがては別れたに違いないのだが。

・卑屈になったモラのご機嫌取り

 私が二年生になった頃というのは、既に説明した通り、卒業はしていないがサークルは一応満期引退となった稲田と別々の春公演をやって、私のメンタルがかなりやられた時期だ。というか、稲田と付き合っていてメンタルがやられていなかった時期など実はない。モラと付き合うというのはそういうことで、常にモラから何らかの圧力にさらされているから、じわじわじわじわやられているのが常態化している。とはいえ、基本的には優しいことを言ってくれるし、私は芝居の約束を反故にされた時点で自分の勘違いを改めるべきではあったのだが、稲田が自分の味方だと信じていた。そうあって欲しかったというのもある。二年生になった時のサークルの本公演では『三人姉妹』をやることになったのだが、その年は私の代と違って女の子が沢山入部し、やりたい役が被ってしまった為に随分苦しんだ(結果的には私も後輩も頑張って良い演技が出来たと思うが)。稲田は話を聞いてくれたし、個人練習に付き合っては色々アドバイスもしてくれて、とても頼もしかった。稲田も、頼られていることが嬉しかったのではないかと思う。というのも、私が三年生になる頃には、稲田の出番が本当はすっかりなくなっていることが身に染みたのか、酷く卑屈になっていたからだ。ある時、後輩たちが沢山来て、色々雰囲気が変わってきたとかそんなことを私が話していたのだと思うが、皮肉っぽく笑って彼はこんなことを口にした。

いいね、もうあれだ。どんどん新しい人が入ってきて、俺がいた時のこととか全部変わってなくなったらいいと思う

 一瞬、彼が深く傷ついているような気もして可哀想という感じもしたのだが、はて。私は当然戸惑った。幾ら私が恋人だといっても、私は彼が直接演出を手掛けた年の後輩で、Yのこととか色々あったかも知れないが、何があっても彼は私にとって先輩であり、私は後輩だ。つまり、私も、Yも、学年が同じ同期も、学年は違うがサークルでは同期だった人も、何人もいる。私たちは「彼がいた時のこと」の終盤にしっかりと刻み付けられているはずの存在なのに、そんなにどうでもいい存在なのか?自分のことを祭り上げ続けるサークルでないなら、もう知らない!という子供っぽい感情を私にぶつけても良いのか?私は、後に何かの拍子に稲田に、一年生の時の役選びのやり方が本当は不満だったことを話したことがあり、その時に稲田は先輩面で「それは俺に言ってもいいことなのか?」と尤もらしくお説教をしたのだが、兎に角異様に、自分に甘く他人に厳しいのである。この、どうせもう俺が中心じゃないんだから、俺が関わってきた過去のことも消えちゃえ!みたいな幼稚モードの時に、確か稲田は自身のことを「俺は過去の王だから……」といったような、中二病風の発言をしたのだったと思うが、簡単に言うと、この時稲田は暇と自尊心を持て余していたのだ。流石に七年目ともなれば、長くいただけあって、足りない分の単位をとるのはそう困難なことではない。とはいえ、やはり七年目ともなると、親ばかなご両親も可愛い可愛いと言っていられなくなったらしく、七年目確定の際に家で相当もめたのだという。ある日、学校でその話を、些か気落ちした様子で稲田が切り出したものだから、モラと付き合っていたことのある人は理解できると思うのだけれども、私は条件反射で慰めてあげなくてはという気になった。ご機嫌取りが癖になっているのだ。修羅場になったという話を聞いた後、私は急いで、次のようにフォローした。

「でもさ、私も一浪してるし、稲田さんが留年してなかったら私たちそもそも会えなかったんだから、会うための留年だったと思えば……」

 まあ、今思い出しても出来の悪いフォローである。だって、出会う為だけならば一年の留年で十分だったし、もっと言えば、会わないほうが良かったのだから。私の出来の悪いフォローが、人間として出来の悪い稲田の腐れ根性に火をつけてしまい、稲田が次に口にしたのは驚くべき言葉であった。稲田は私を不服げな目で見て、憮然として言った。

じゃあ、その分の学費払ってよ!」

 What? Are you kidding?ニホンゴワカリマスカーと言ってやれば良かったのだが、この時、私がとっさに選んだ道は、A. たたかう B. にげる のどちらでもなく、チートの「聞かなかったことにする」であった。聞き間違いだろう、と強引に自分に信じ込ませて、コメントしなかった。だって、あまりにも情けないもの。仮にも、好きになって付き合った男が、そんな、まさか自分がだらしなくダラダラダラダラ留年し続けていよいよ七年目、三つ年下でその家にしょっちゅう入り浸ってタダ飯食わせて貰ってる相手に対して自分の無駄だった分の学費払ってくれと冗談でも言うなんて思いたくないもん!!

 というわけで、この話がそうこじれることはなく、兎も角情けなさの極みに達して右往左往する羽目になったこの頃に稲田は漸く「将来の夢」を決めることにしたのだった。

最年少での作家デビュー?俳優?外交官?

 稲田が将来、何になりたいのか、私はハッキリと聞いたことがなかったが、多分、何がなんでもこれをやりたい!というものはなかったのではないかと思う。勿論、夢=職業というのは定型すぎるし、なったらそれで終わりなのか?という疑問も出るし、必ずしも将来なりたい職業をきっちり決めておくのがベストというわけでもないだろう。生き方は色々ある。特に、健康なら、なんだって出来るのではないだろうか?と病弱な私は羨んでしまうのだが、少し卑屈だろうか。稲田に関して言えば、煙草をスパスパやって夜勤までやっていても体を壊さない位の健康体なのだから、本当にその気になればかなりのことは出来たのではないかと思う。
 もしもの話は兎も角、稲田は、大学に延長生としている間、時々未来の職業についてのことを語った。一体、それを話している自分が私からどう見えているのか疑ったことはないのか少々興味があるが、前にも書いた通り、それは自分探しの一環であって、自分が何をやりたいというよりは、自分に何が向いているのかを頭の中だけで模索しているという感じだった。例えば、サークルの顧問の先生は、学生が自分を信じて頑張れるようにと願ってのことだと思うが、例外なくどの学生にも「あなたには才能がある」と言い聞かせるのだが、稲田は「俺、N先生には、何かしらのルシスト(ロシア関係の何かに携わる人)になれるっていわれたんだけどさ」とちょっと自慢気に言っていて、そりゃ合計七年も大学でロシア語とロシア演劇に関わってきたのだし、何らかの関係職種に就くだろうと思うのは普通のことだろうという気もするが、彼は誰かが道を示してくれるのを待っているような感じだった。編集者と会った時にノートちら見せしたのもそうだが、ハッキリそうとは言わないものの、彼は誰かが彼の才能を見出してくれるのを待っていたのだと思う。まさか、N先生も、本当に彼が、親鳥が餌を運んでくるのを口を開けて待っている雛のように仕事が運ばれてくるのを待ってしまうとは思わずにそんなことを言ったのだと思うが、罪作りといえばそうかも知れない。
 そして、彼が見出して欲しかった最大の才能は、恐らく文才なのである。というのも、付き合ってそう経たない内に郊外の美術館に一緒にいった日、道すがら色々なことを喋っている中で、彼は突然こんなことを言い出したからだ。
最年少で作家デビューしたかったんだけど、もう最年少じゃないからさ
 ……今でも少々謎が残る発言である。だって、心底作家になりたいのなら、才能の有無に関してはとやかく言わないにしても、書いて書いて書きまくり、年齢とか些末なことに拘ってないでどんどん挑戦すれば良い。そこまでしてわざわざなりたいわけじゃない、ということだろうか(というか、か、薄々自分でも大した才能はないことを理解していて、本気を出してしまうとすぐに上限が見えてしまうので頑張ることを避けていたというのが私の解釈)。まず、普通はなかなかなれないものなのだが、なんなら自称作家でバンバン書いてネット上で発表したって悪くはあるまいが、実は私は一度も彼の書いた「小説」「詩」「戯曲」の類を見たことがない。「現代詩手帖」を購読するくらい、現代詩に関心を持っていて、実際日本文学という枠で見ると私などより遥かに教養があって詳しかったのだが、本人の言葉からすると、自分も作家の仲間入りをしたいという願望はあったのだと思う。これはだいぶ後の話になるが、私がちょっと、とあるロシアの国民詩人の名前をもじって遊んでいると、彼は突然不機嫌になり(この、突然不機嫌になるというのがモラあるあるだと思う)「俺、作家は尊敬しているから、名前で遊んだりとかいやなんだよね」と言ってその場が酷くきまずくなった(でも、後に書くが、彼は、私が色々戯曲を探してチャペックの作品をどうかと伺うと「俺、チャペックなんかやらないよ!」と突然大演出家になってしまい、作家への敬意とやらはどこかに落としてきたみたいだった。因みに私は今チャペック大好きなので、彼が読んだか知らないが「あなたは百回生まれ変わってもチャペックにはなれない」的なメッセージを一度送った。ヘッ!)。
 話がどんどんずれるので方向を修正するが、彼が最後にとっていた授業の一つは、うちの大学で恐らくその年で最後となった演習で、参加者がリレー小説を書くというものだった。私と彼は先輩後輩だけれども、厳密には、彼が所属していた学部は私が受験して落ちたその年でなくなり、改変があって、私が合格して入った年にはやや名称の違う学部になっていた。なので、彼はちょっとした前時代の生き残りであって、その演習の中でもレアな存在だったと思われる。そして、この演習で彼が書いたものが、唯一私が見た彼の「作品」(部分的だが)になるわけである。どういう話だったといえるほどストーリーがあったわけではないが、彼が担当した部分は、リレー小説を書いていることそのものをメタ表現として入れようと思ったのかどうもよくわからないが、確か大勢で一つの「靴下」を編み上げる謎の描写だったと思う。一足の靴下なのか、片方だけの靴下なのか、忘れてしまったが、なんだかテンションが下がるようなアミアミ描写があって、正直反応に困ったのだが、取り敢えず褒めておいたと思う。母にも見せたが、母は後に「あれで稲田に才能がないのはすぐにわかった」と言っている。まあ、作品の最初の数行読んだら書き手に文才あるかないかってすぐわかるのは事実なのだが、多分私もそこまで本気で稲田が物書きになれるなどとは考えていなかったのだと思う。I先輩がなにかの拍子に、私たちの仲をからかって困ったので、まあ彼の将来は不安定だし…なんてことを言って場を濁したら、「大丈夫大丈夫、稲田さん大文豪になるから~~」とゲラゲラ笑っていたのだが絶対にバカにしていたと思う。私も、心にもないことを……と、笑顔がこわばってしまった。
 あとは、繰り返しになるので、該当記事を参照してほしいのだが、結婚を意識しだした稲田は外交官だか兎に角領事館勤めを志し始めるのだが、これが丁度、次なる演劇のトラブルと重なったのである。

・棚から牡丹餅

 その年は、正式に戯曲を決める前から、概ね戯曲が決まっていた。前年は演出補佐だったNNが、その年はちゃんと演出として、やりたくて仕方がなかった『巨匠とマルガリータ』をやると喧伝していたのだ。あれがとても面白い作品で、カルト的人気を誇る小説であることに異論はないのだが、NNのせいで若干の苦手意識があるほど、NNのこの作品に対する思い入れは強かった。稲田に関する記事でNNのことをあまり書くのも目的から逸れるようではあるが、稲田のやり方を学んだNNの独善的な所や、稲田を始め他の重鎮が平気で後輩の女の子に手を出していることから恐らくは幾分か影響を受けてセクハラに及んだのであろうこととか、やはり関連性がないとは思えないので多少この時のことも書いておく。
 彼が正式に演出になるよりだいぶ前から、私はプーシキンの『スペードの女王』をやりたい!と特に何の懸念も持たずに言っていた。NNのことですら、信頼していた。NNも、戯曲は自分がやりたいものもあるが、皆で決めると言っていた。私は、演劇サークルの醍醐味は、皆で戯曲を選ぶことにもあると思っていて、寧ろそういうのを求めてサークルに入ったといっても過言ではない。しかし、稲田の忠実な後輩であるNNは、皆で集まり正式に彼が今年の演出であることを確認した日、その手のなれ合いには興味をなくしたらしい。私もその場にいて、彼を演出であると認め拍手をしたけれど、まさかそれが「全権委任」の意味であるとは欠片も思っていなかったから、後にそれがちょっとしたトラブルになった。この時から徐々にNNが独裁者っぷりを発揮し始めたので、一部の彼によくなついている人間を除いて他のメンバーも反発を抱くようになり、なんだか空気がぎすぎすと尖っていき、戯曲決めの際にはなんだかもう病的だった。『巨匠とマルガリータ』のファンタジックな場面をどうやって演出するのか!空を飛ぶとかどうやって処理するんだ!という後で考えればいい事が、初めから議論されたのもおかしいし、NNが「演出は俺なんだから、俺がやりたい芝居をやるのが筋だ!」と、今の政権与党ばりの滅茶苦茶を言い出して、調和など存在しなくなっていた。何もかも稲田のせいにするのはおかしいかも知れないが、演出になれば王様気取りになっていいという勘違いをNNに残したのは、稲田だったのだと思う。騒動を相談された稲田も、私に、「でも、ソラリスもNNを認めたんだろう?」と、ごく自然に、演出を認めた以上全てに従うものだという考えを隠さなかったのだから。私の考えは違い、演出を引き受けるということは、皆で決めた戯曲なら自分の好みは二の次で力を尽くして演出するということなのだが、当時はうまく主張できなかった。なんだかんだでNNの希望通りに全ては決まったかに見えたのだが、流石、稲田の愛弟子であるNN。やらかしていた
 この時のことは私にも多少反省が残っている。春先に、後輩の女の子の一人から、「NNからメールが来る」とだけだが、話を聞いていたのだ。ただ、その子は問題があるようには言っておらず笑っていたし、見せて貰ったメールは、やけに「君」呼びだのなんだかなれなれしくて気持ち悪かったが性的ではなかったので、ああ、あいつこの子のこと好きなんだ?!と思い、しつこくて困っているとかそういう風には一切言われなかったから、「まあめんどくさいね」位のことしか言ってあげられなかった。まさか、NNが、春公演(その年、またしても忌々しいチェブラーシカをやることになっていて、私は不参加)の稽古と称して、その子と、その子の友達の体を触ったりしていた……なんて知らなかったのだ。ただ、私はやる気を完全に消失していたので、本公演の練習が始まる夏までは少なくともサークルお休み状態でいて、ある日稲田たちに呼び出されて、NNのセクハラについて告げられた。その時は、同期がそんなことをしていたショックで思わず涙したが、後輩の女の子たちの前で点数を稼ぐために同期(しかも向こうが年上)の私を「おつぼね」呼ばわりしたり、考えてみたら頭の中十割性欲でいっぱいのクズだったのだから、まあ驚くことではなかったのだ。そういうわけで、NNはいったん追放され(まあ、後で戻ってきちゃうんだけど。訴えられていないだけで性犯罪者なんだから、息を殺して生きていくべきだと思うが今もパフォーマンスをやっているらしい)、代わりの演目と演出が必要になった。

 これが、腐っていた稲田が再びスポットを浴びるチャンスとなったのである。


続きはこちら。

※最初から読む方ばかりではないと思いますので、改めて断りますが、話は事実ながら、登場する人物の名前は仮名やイニシャルのみとなっております。

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