4/1 煙の中のエイプリルフール

他のイベントごとと同様に、今年も気づかぬうちにエイプリルフールが来てしまった。

そんな私はというと、昨晩無意識にパートナーを怒らせ、半ば失意の中目覚め、なんだか気だるい気持ちで煙草を吸いながら朝を迎えた。
煙草を吸っている時は、何か考えたくなる。
今日も自身から出てくる煙を見ながら、4月1日だということを自覚して、そういえばエイプリルフールだったと思いを馳せた。

エイプリルフールはなぜ定着したのか?

そういえば、日本のイベントごとというのは、得てして企業の販促と結びついていると聞くことがある。恵方巻しかり、クリスマスしかり。
しかし、エイプリルフールというのは、単純に嘘をつくだけだ。単純に嘘を楽しむだけだ。エンターテイメントとしてはもちろん楽しいが、何か益があるかと問われると、「騙されて種明かしをされた時の笑いでコミュニケーションを深める、好感度を上げる」くらいしかないのかもしれないと思う。

そこで、日本に普及・定着した原因というのはなんなんだろうと思った。こういう時、Google先生の出番である。ちなみに、起源・由来辞典とか、レファレンス協同データベースとかいう図書館でよく聞かれるQ&A集みたいのを見れば、紙媒体でも調べられはするだろうが、知ってはいてもいざ調べるのはまったくの手間だなあと思ったりもする。

元々あったイベントと同じ時期という理由で、大正時代から普及していた?

結局、何も考えずに「エイプリルフール 普及」と検索ボックスに投げ入れ、1秒も待たずにGoogle先生はネット上の情報を提供してくれた。
曰く、大正時代くらいに普及したらしい。Wikipediaに掲載されていた昭和7(1932)年の写真を見ると確かに普及しているらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AB

民間に普及したのがいつかはよくわからなかったが、新聞記事やらWikipediaやらを読むと、もともと万愚節という中国の習わしがあったとか、彼岸の時期に由来するとか。
確かに、「四月馬鹿」という単語は聞いたことがあるし、『四月馬鹿』という本も出ているらしいから、もともとあったイベントの時期と重なるというのは普及しやすかったのだろうか、と仮説を立ててみる。

いや、本当だろうか

しかし、昭和45(1970)年に出版された、渡辺温の『四月馬鹿』という本から、若干の疑問が残る。
この、『四月馬鹿』という本、なんと青空文庫からネットで読めるのである。本当に便利になったものだ…。

全体として、夫婦の日常会話といった感じで、最後にどんでん返しがある都合上あらすじは言わないが、なかなか心温まるドタバタ劇である。

以下の引用では、オウ・デ・コロンを普段から頭にかける文太郎くんが、妻にウイスキーとオウ・デ・コロンの位置を入れ替えられてウイスキーを頭からかぶってしまうという部分である。その言い訳を妻はエイプリルフールにしているのである。

ここで言いたいのは、文太郎くんはもともとエイプリルフールと言われても「ああ、あれね」とはなっていないのだ。「そういわれれば、西洋の小説で読んだこともある」とは、なんとも一部の人しか知らなさそうな話である。

『畜生! 不礼者ぶれいもの!』文太郎君は、タオルをかぶった頭をふりたてました。

『そんなに憤るもんじゃないわ。今日は、だって、四月一日よ。』『四月一日が如何した?』

『あら、あんた四月馬鹿エプリル・フールを知らないの?』

『出鱈目云うない。そんなもの知ってるもんか!』

『呆れたわねえ、ブン大将は! そんな、古ぼけた頭にオウ・デ・コロンをつけようってんだから、いよいよもって図う/\しいわよ。四月馬鹿ってのはね――あんただって、チャールストンとワルツの違い位は知っているんだから、教えといて上げるわ。――四月のお朔日ついたちは一年にたったいっぺん、どんな途方もない出鱈目をやって、人を担いでもいい日なの。あたしたちには、クリスマスなんかより、もっと祝福すべき祭日なのよ。』

『ほう、本当かね――』文太郎君は、こすった位では、迚も芳醇の香の抜けない髪の毛を諦らめて櫛で、撫でつけ乍ら目を瞠りました。『そう云われれば、なる程、西洋の小説で読んだこともあるような気がする。』

しかも、実際前後を読めば、ギリシャ語の昆虫やフランス鳩、「近代夫婦生活の新様式を理解したつもり」など、だいぶ当時の最先端を取り入れた風の文章なのである。全体的に、(教養のない私は)知らんがなという感じだが、いつの時代も当時最先端の話は面白い。
ちなみに、私はチャールストンとワルツの違いはわからない。

仮説

結局、文太郎くんの話から、昭和45(1970)年にはエイプリルフールというのは当時最先端の人しか知らないようなネタだったことが濃厚。

ということは、全体的に鵜呑みにするとして…

仮説1
大正時代に海外から文化が入ってきて昭和7(1932)年の時点では普及せず、新聞記事(メディア)が主で流行っており、昭和45(1970)年くらいから民衆に普及しだした。(新聞記事は得てして誇大表現を使いがちなので、普及していたかは微妙)

仮説2
大正時代に海外から文化が入ってきて昭和7(1932)年の時点では普及していたが昭和45(1970)年くらいまで断絶していた。

結論

結局、普及した最初に関しては仮説をたてられたが、なぜ現在エイプリルフールが定着したかはよくわからない。俗にいうグローバル化とかネットの普及とかで定着したのかもしれない。しかし、それではなんだか味気ない気もするなあと思いつつ…。

普及した初期に関しては、昭和7(1932)年と昭和45(1970)年には第二次世界大戦が挟まることも文化の隔たりとして関わってくるのかもしれない…。そういえば、他の文化に関しても、現在はやっているものが、実は大正時代には日本に入ってきていたというものを見たことがある気がする。
言っておくが、これは独り言なので責任は負いかねる。

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