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「やり遂げることに意味がある」ということ

可能性を否定してはいけない。

「『それはできない』と自分で可能性を否定したらダメだよ」
彼女はこう言ってくれる。

否定した時点で本当に可能性を潰してしまうことになる。
可能性をゼロにしてしまうということだ。


僕は長らくコツコツと努力するのが苦手だった。
すぐに結果が出ることや手に入りやすいこと、
その時の自分のちからで手に入ると思えることしかやってこなかった。
それは確実な自信があるし、自信を持ちやすいからだった。

何年もかけて実現させるようなことにチャレンジしたことがない。

それとそれができたからと言って何?と
あっさり諦められることは努力しようとしたことがない。
諦める理由のほうを先に考える。

いわば自分で自分に言い訳をする感じだ。

そんなことばかりだった。

できなかったときのことを恥じるという気持ちもあった。

でも、そうやって避けてきたことがいっぱいあって、それは大なり小なり、コンプレックスに変わった。

僕の中にはいろんなコンプレックスがある。

一番大きなコンプレックスが、そのコツコツ努力できないということだ。

数年前に少し大きめのコンプレックス解消に取り組んだことがあって、それがうまくいったことが今は自信に変わっている。そのひとつの達成はとても大きな意味があった。それは大事な資格試験で、もっていて当たり前の資格でもあった。それをいろんな言い訳をして勉強せずにとらなかった。

一念発起してコンプレックスを解消しようと思い立った。今やらなければもうこの先、できる機会はないというタイミングでもあった。

半年かけて勉強した。合格した時に、コンプレックスが解消したと実感した。そして、今は目的のために時間をかけて勉強することができるようになった。むしろ楽しいくらいだ。

その翌年、その勢いで別の資格も取ってみた。それは3か月ぐらいの勉強期間だったので、ほぼ苦にならなかった。「やればできる」という自信が勉強自体を楽しくさせていた。


いつ頃に思っていたのか正確には覚えていないが、指笛が吹けたらいいのにと思っていた。でも、割とあっさりと諦めていた。
でもその小さな憧れはずっと心の隅っこに残ったままだった。
「アルプスの少女ハイジ」の山羊飼いのペーターが吹くアレが最初だった。
その後、コンサートでヒューヒューとやっているアレをやりたくなり、そして、沖縄民謡や舞踊でやっているあの指笛があこがれとなった。

「え、指笛?」と思う人もいるかもしれない。
でも僕の中では、できたらいいなのひとつなのである。
でも、ずっとできないままで来た。
練習したことがないからできなくて当然である。
やってみると、まあまあの確率で吹けないものだ。
僕も割と早い時期にあっさりとあきらめてしまった。

試験的に、このささやかな願いに今取り組んでいる。
「きっとできる」を現実化するのである。
そろそろ3か月ぐらい経ったが、もう音は出るようになった。
あきらめずに、コツコツと練習してきた甲斐があった。
今はネットの記事やYoutubeという便利なものがあるからいい。
あともう少しで、自在にふけるようになるだろう。
これで、子どもの頃からのひとつ夢がかなうことになる。

些細なことのようだけど、物事を達成するという取り組みのひとつとしてやっている。
できなかったことができるようになるというのは
ゼロが1になるどころから100にもなるようなことだ。

そして「きっとできる」が現実化する証明になる。ささやかだけど僕のなかでは意外とばかにならないことなのだ。


物事を達成するということはとても大事なことで、100歩手前でも1歩手前でも諦めてしまえば同じことで達成感は味わえない。

達成感というのは、達成した者にしか得られないものだし、達成の仕方は達成した者にしかわからない。
達成感は複雑にいろんな作用をもたらす。
達成するためのコツ、達成するための心理、
達成した後の自信、スキル、なんらかの利益 等々。


タロットカードにⅦの戦車というカードがあって、それは物事の達成を意味する。カードに描かれているのは、戦いに勝利して凱旋パレードをしている馬車に乗った戦士の姿だ。
このひとつ前にⅥの恋人というカードがあるのだけど、それは選択するという意味がある。
自分のために物事を選択するというカードだ。
つまり、達成するためにはまず選択=決断をするのである。
選択しなければ、達成は得られない。

できないとあきらめるのは選択しないことと同じ。
そして、何も得られるずに終わる。

タロットを学んでいるときに聞いたのが、
「間違った選択をするより、選択しないことのほうがもっと悪い」

今まではたぶんできると思ったことをやってきて、ちょっと人がしないような人生を歩んできて自己満足していた。でも、実はかなえたい願いに取り組もうとせずに来た僕は、とても残念な時間を過ごしたと思っている。
もちろん、その時間は取り戻すことはできない。

でも、今からでも可能性を否定せず、前を向くことはできる。
今からでもできることはたくさんある。

そう思って、かなえたいことに取り組み始めた。
(それは指笛のことではない。笑)
それは5年ぐらいかかってもいいと思っている。


少しでも前に進もうと思いながら、日々取り組んでいる。

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