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ライフ・サイエンスと神道

コロナ禍での医学寄りな本をいろいろ読んでいる。
最先端の生命科学について。

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ニュースで飛び交ってる、コロナ禍前は興味すら持たなかった言葉たちを、わたしたちはぼんやりとしか理解してないかまたは、間違った理解の上で、否定派/肯定派で対立している。
なんとバカげたことか。と思うので、まともなものをちゃんと読む、のだ。

生命科学者でありオートファジー研究の第一人者、阪大吉森教授。

面白かったなー、一般人にわかりやすく書かれていて読みやすかった。

言われれば、
遺伝子とDNAとゲノムの違いなど、
雰囲気でしか知らなかった。知ってます?

ウイルスとはなにか、
抗体と免疫、
集団免疫と獲得免疫、
病気の定義とはなにか、
健康長生きの最新科学でわかっていること、
そしてオートファジーについて、
などなど、てんこもり。

そんななかでも、
わたしが一番とりこになった言葉は、
「人間を含む多くの生き物は進化の過程で死んだほうが種の保存に有利だった」
「長寿や不死ではなく、老化や死を進化の過程でわざわざ選んだ可能性が高い」
というところ。

人間という種の存続、
その「恒常性の維持」がために、
ある程度生きたら、
子孫というコピーができ、
コピー元の生命は死んでいく。

死なないクラゲもいるそうだが、命として弱々しく、そして個体も少ない。

さてここからは・・・
本に書いてあることではなくわたしの連想ゲーム、妄想癖だが、興味あればお付き合いいただきたい。

「恒常性の維持」ってこれ、
ピーンと来たのは「常若(とこわか)」

そのための、生命、宇宙のリズムが、神道ではメソッド化されている。

ヨーロッパの石で作るお城は、丈夫で長持ちするけれど、その一度きりで、1000年後には消え去る。
一方、日本の神社は常若の精神で、式年遷宮で新品にして技術を後世に伝えるから、いつでもピカピカ、若々しい。

そのなかでも伊勢は20年に一度。
人間の寿命的に、
一度は先人から教わり、
二度目は復習と同時に、次世代に教えながら次の次の世代に役立てるサイクル。
ほんとに良くできてる。

この伊勢の式年遷宮のスクラップ&ビルドスキームは、肉体的に例えられる。

たとえば人体の排便サイクルは、神社の毎日の掃除(掃除もご神事)に通じることはもちろんであるが、
破壊と再生レベルまでいくと、
たまの断食(極度の空腹)、
たまの滝行(極度の寒さ)、
たまの負荷の高い有酸素運動、
あたりがそれにあたる。

この3つすべて、
ミトコンドリアが「やべぇ!死ぬかも!」と思い込み、活性化して、細胞の再生リズムをギアチェンジするスイッチだから。

細胞も骨すら「ターンオーバー」を繰り返すことでこの身を維持している。
肌も28日で古い細胞は死に新たな肌細胞が次々に内側から作られている。

このカラダは・・常に、細胞という最小単位の生命体たちが寄り集まりながら生死を繰り返しながら恒常性を維持し続け、活動している世界。

それはイザナギとイザナミの約束から神道ではわかっていたのだ。
わたしは一日に千人殺す!
ならばわたしは一日に千五百人産む!

人体は、小宇宙。
まさに、たくさんの新星が産まれながら古い星は死に、回転しながらいずれは崩壊すると言われる銀河系や宇宙そのものの相似象が、
この人体である。

つまり、神道(のご神事)とは、
救いを求める信仰、宗教ではなく、

宇宙やその相似象であるカラダのしくみを祝詞や毎日のご神事へと体系化し、
その常若、弥栄(いやさか)の神秘性を、
地域社会や国という概念へもその恩恵を転写、落とし込もうとした、
超科学的活動、なのかもしれない。

そう考えると、神道の神事や神社と対峙することで、人としての在り方、生き方もみえてくるような気がした。

たとえば、
神社をパワースポットなどというが、
「行けばパワーがもらえる」のではなく、
日頃心身を鍛え(=恒常性の維持)、
神社や宇宙に共振できるカラダであれば、
神社のイヤシロチパワーと共振できて、
いまのあり方で良しと教えてもらえる、つまり、もらいに行くのではなくチェックしに行く、ものだと感じるわけだ。

お宮=子宮
参道=産道
お詣りとは、生まれ変わりに行くのだからね。

問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。