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15歳、受験期。僕は通りががりで寄付に出会う。

僕が寄付について「すごい」と思いはじめたのは、22年前にとある施設でNGO屋台村というイベントを通りがかりで見つけたことがきっかけだった。

そこには砂漠を緑化するための取り組みの団体やUNICEFなど様々な国際協力関連の団体がブースを出し、スタッフの方々が訪れる人たちと交流をしていました。僕はそのときはまだ中学校3年生で、受験シーズン真っ只中だったのだが、「〜〜が大変な状況で、、」みたいな説明をしている女性スタッフの方の話がなんとなく聞こえてきて、僕はふっとブースに寄ってみた。

受験期だが、別に受験勉強を大してしているわけでもなかったし、暇だったのだ。ブースで話している人の話を、少しだけ離れた距離で、話を聞くのには少し通しが、近づきすぎるのも微妙な距離というのもみなさんご存知だろう、その少し離れた距離で、僕は耳を全集中させていた。砂漠を緑化させる取り組みを、寄付を集めて中国かモンゴルで行っている団体の取り組みだったと思う、言葉は覚えていないが、その微妙な距離で聞いていた人が目線をこっちにやって「少し話聞く?」と途中で話を区切って僕に声をかけてきた。それがきっかけで輪に入り、僕は話を聞いていた。

もはや、内容自体は記憶にないのだが、2〜3つ質問をして「そっか、こういった課題があるのか」ということを興味深く思ったように思う。なにしろ、教科書に載っている砂漠化とかよりも、現実的に課題になっていることを聞くことの方が面白く感じたからだ。そのときに「寄付で事業をおこなっている」ということも知った。僕は元々、吹奏楽部やゲーマーだった過去で、そもそも社会課題に関する問題意識もなかったし、寄付という言葉も初めて知ったように思う。

もちろん、募金箱とかで母親などが寄付したことはあったが、「寄付」ということを主体的にする機会などなかった。僕はその時に、いくばくか、自分のお金で寄付したように今考えてみれば思う。寄付でできる事業って、国の意向や社会とか関係なく自分達が集めて自分達がやりたいことのためにお金が使えるんだー、とまでは思っていないが、カッコよく思ったのだ、寄付について。なんか、できるんだ、みたいな。

そこから、よく考えてみれば、寄付のことばかり携わっている気もする。高校生の時にも自分でアルバイトして寄付をしたり、自分がNGO団体を立ち上げてからも寄付を集めてイラクのこどもたちの支援をしたり、と。

solioをはじめてからも思うのだが、NPOが自分達の意思を持って始めた事業を応援したいし、自由度を持って支援ができるようにしていきたいと思っている。寄付は自分が積極的に、自主的に、お金を支払い、そして団体側は独立性を持っておかねをつかうことができる。主体的なのだ、お金が。意思を持ち、主体的にお金を使うことができる寄付に、僕はその魅力に取り憑かれている。

自分が代表を務める認定NPO法人D×Pも9割近く寄付で運営しているNPOでもあるし、solioは他のNPOが自分達が動けるために使える。僕にとっては寄付できていないジャンルにバランスよく寄付できるためにも使っているし、人によっては「1団体を選ぶのが重い」と思ってsolioをつかうこともあったりしている。

独立的、主体的。そこに寄付の面白さがあるし、重そうにも見える。しかし、ジャンルを選んで寄付することで重さが変わったとも言える。そういったサービスを様々な人と協力してできたのは良かったと思っている。

これからもまた、寄付の面白さを発見していきたい。そんなことを、日曜日、娘氏たちとカフェで過ごしながら思った。

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