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キプロス:分断された首都レフコシア(ニコシア)

まさか生きているうちに、分断された首都をもう一つ訪れるとは思ってもいなかった。
私は1987年に西ベルリンを訪れており、ベルリンの壁を見て、チェックポイント・チャーリーから東ベルリンへも行った。壁が崩され、もうこんな町はないだろうと思っていたら、キプロスのレフコシアもそうだった!

キプロスは19世紀からイギリス支配下にあったが、1960年に独立。しかし、トルコ系住民とギリシャ系住民の対立が続き、1974年のトルコ軍がキプロスに出兵したため、国連によって「グリーンライン」と呼ばれる”国境線”がひかれて、二つの国に分けられた。
国際的に承認されている南側の「キプロス共和国」とトルコのみが承認している「北キプロス・トルコ共和国」である。そして両国がレフコシアを首都とし、半分に分けてしまった。

こちらのサイトより拝借した地図。町の周りには要塞風の城壁があり、ちょうど真ん中で北と南に分断されている。町の形はヴェネツィア共和国の城塞都市設計のイタリアのパルマノーヴァと似ている。

「北キプロス・トルコ共和国」は日本やイタリアは承認していないものの、パスポートがあれば日帰りで南側から訪問できる。
メインストリートであるリドラス通りのクロスポイントから国境を越えて、2回ほど北側に行ってきたが、この記事ではまずは国境の雰囲気の写真を。

南側のクロスポイント。ギリシャ側キプロスのパスポート検査がある。ヨーロッパ人はキプロスへはIDカードだけで入国できるため、パスポートを持っていない人も多く、北側に行くのを諦める人もこの辺でうろうろしている。
「バッファゾーン(緩衝地帯)」と呼ばれる両国の国境の間の地域。2つの通りぐらいの幅があり、この地帯にある建物は全て空家。南側の国境。
上の写真とほぼ同じ場所から撮影した北側の国境。

両レフコシアでグリーンラインの辺りを歩いてみた。ほとんどが、建物自体が国境線となっているため、空き家になっているが、一本の通りが分断されたところは閉鎖されている。

南側はどこもこの水色と白のストライプで国境であることを示している。場所によっては警備兵の姿もあった。
南側の、とある教会の近くの国境線。
北側は壁を築いて、鉄条網。警備兵などは全くいなかった。
ここは放置されてゴミ捨て場に。
北側のある通りで。右側はバッファゾーンに属する建物。両レフコシアとも国境周辺の建物は空き家が多い。
北側のバッファゾーンに近い建物。空き家ばかりだが、壁やシャッターにはグラフィティが多く描かれている。
南側のシャコラス・タワーの展望台から北側を眺めて。遠くの山には北キプロス・トルコ共和国の国旗が描かれていた。

見出し画像も北側のバッファゾーンに属する建物の壁に描かれていたグラフィティだが、分断された二つの国の統合を願うものだろうか。

赤がトルコ側、水色がギリシャ側だろうか。

次はそれぞれのレフコシアの記事をアップする予定。
(つづく)

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