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モーリシャス:私にとってのグリーフケアの海

2003年3月にインド洋に浮かぶ島、モーリシャスに行った。

本当は2002年の年末年始に行く予定だったのだが、パートナーの姉が12月初めに急死(自殺)してしまったのだ。まあ、それだけでも十分にキャンセル理由だが、義姉は当時末期癌の義母の介護をしていた。なので急遽私たちが義母の介護をしなければならなくなったのである。

しかし、義母に義姉の死を知らせるのはあまりにも酷であった。なので親戚中で口合わせをし、義姉は交通事故で怪我をし、入院しているということにした。義母は既に末期癌で痛みもひどく、自宅で介護していたものの、モルヒネを定期的に経口摂取し、日中意識がしっかりしている時間帯はあったものの(こんな時は、当時イタリアで放映されていた昼ドラを一緒にテレビで見た)、割と朦朧としている時間が多かったのも、ある意味幸いだっただろう。

ほとんど会ったこともない息子のパートナー、しかも外国人の私が、自分の家の中で急に身の回りの世話をし出し、掃除したり、食事を作ったりしている。朦朧としていても、義母も疑問に感じだしたのだろう。私には何も言わなかったが、時々代わりに来てくれた親戚に問い質していたようである。

24時間体制の介護の時間、初めての私には永遠に感じられたが、結局は3週間ほど。義母の容態が悪化し、モルヒネ経口薬も受け付けなくなってきたため、ホームドクターの指示で入院となった。そして1週間弱後のお正月明け、義母は病院で静かに息を引き取った。

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お葬式を済ませ、各種手続きなど、実は義姉の分も全て義母のと一緒に処理。彼女たちが住んでいたのは比較的小さい町だったので、役所側も色々と融通をきかせてくれたのだ。

慣れない経験で疲れ切った私たちは、自分たちのご褒美、と言ったら不謹慎かもしれないが、旅行に行くことにした。二人ともフリーランスなので、介護の時期も含め、時間が自由になったのは、ある意味本当に助かったと言える。

旅行代理店で前年キャンセルしたモーリシャス旅行について聞いてみたら、すぐに手配をしてくれた(前年のキャンセルは、義姉の死亡証明書を提出し、全額払い戻し)。なので前に予約していたのと全く同じ旅行、飛行機からホテルまで、全て同じものを予約しなおしたのである。

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まだまだ肌寒い3月のイタリアから到着したモーリシャスは、日中平均気温32度の真夏であった。フルボードのリゾートコッテージに1週間滞在したが、日中はビーチの木陰においたサンベッドでひたすら眠っていた記憶しかない。とにかく疲れていたのだ。

でも海は綺麗だった。見ているだけで癒された。
透き通っていて、確か魚や小さいエビなんかが泳いでいたのが見えたと思う。
朝、昼、午後、そして夕方と、太陽の位置によって海の色も微妙に変わり、グリーンとブルーの間で変化していた。

一度、足漕ぎボートをレンタルして、沖の方へ出てみた。その時に沖合からリゾートホテルの方を撮影したのがこの写真。

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グリーフケア。
当時はそんな言葉は知らなかったが、私にとってモーリシャスの美しい海は喪失や精神的な疲れを慰めてくれたのだと思う。

この旅行の写真はあまりなく、またあっても20年近く前なので、古いデジカメで撮影したものばかりである。解像度もあまりよくないので、noteに記事としてアップする予定はなかったが、「海での時間」というお題でこの旅行のことを思い出したので、書いてみることにした次第である。

#海での時間


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