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〔短編連作〕弟月町のひとびと ⑯@昭和

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16.インタビュー:オッコちゃんの話(戦中~終戦)

 戦時中の話なんか聞いても面白うないよ。
 でもまあ思い出した順にしゃべっとくか、あたしもいつボケるかわからんからね。

 名前が織子おりこいうもんで、オッコとかオコとか呼ばれとったね。生まれは見可島みかじま。港から定期船が出とろう。
 島は良かったよ。みぃんな顔見知りで、なんでも分け合うて。家に鍵なんかしたことなかった。泥棒したって港で御用になるもん、逃げる先なしよ。

 戦争が始まっても最初の頃はのんきなもんでね。なんもない島に爆弾なんか落ちるかい。空襲警報が鳴ってもああまたか、ちゅうもんで。警戒警報が鳴ってからようやっと避難した。
 ラジオも勝った勝ったと景気の良いことしか言わんし。
 それがあんた、だんだん雲行きが怪しうなって。島の真ん中に大きな横穴掘って共同防空壕ができた時には、これは本当に怖いことになったと。
 憲兵が島にも来てね。となり組で見張り合って怪しい奴は通報せいと言われてね。嫌だったわあ。顔見知りどうしで何を見張るのやら。

 もうその頃になったら、あたしらが毎日学校でするこというたら運動場を畑にして芋植えて。退避訓練やら勤労奉仕ばっかりよ。ああ竹槍もやった。けど長刀なぎなたのほうが好きじゃったね。いつもモンペ姿の先生が、長刀の時だけは紺の袴はいて、えーい、えーい! いうてね、まあ格好よかった。けど毎日そんなんで勉強なんぞロクにできやせん。面白うない、授業中に警戒警報鳴らんかしら、そしたら防空壕で本が読めるのにとか思ったもんよ。

 疎開の子は可哀想だったなあ。疎開てわかる? 空襲から守るために子どもだけ田舎に預けるの。親元から離れて集団でお寺に住んで。島には共同風呂があったけど、疎開児童はシラミがおる、最後に入れーいうて怒られて。食べる物も着る物もロクにありゃぁせん。学校じゃ臭いきたない言うて除けもんにされる。ほんと可哀想だった。
 ミツちゃんはちょっと別の事情で疎開してきた子だった。乙尽おとつき村の、ああ今で言うたら弟月の北のほうやね。端出はたで岬のハイカラな洋館に住んでおったのに、なんやら陸軍が造るというて。家ぜんぶ取り壊しになったらしい。
 あの子はちゃんとした育ちのお嬢さんで、色白さんでね。言葉も「わたくし」ときた。島の子はそんな上品なしゃべり方なんぞしたことがないからびっくりしてね。そしたらいじめる者がおるわけよ。おまいや、どこのお公家さんぞ気取るなちゅうてね。
 よう手を引っ張って悪童どもから逃がしてやった。あたしや男みたいな性格なもんで、そこいらの悪ん坊にゃ負けやせんのよ。おかげで服も青だの水色だの、襟まで水兵さんみたいなのばっかり着せられたわ、ははは。

 そうそう、水兵服で思い出した。すぐ上のねえやんが助けられた話しよか。
 姉やんがとなり町に買い出しに行った帰りの話よ。駅前に長い列がふたつ出来ておって、どっちに並ぼうと考えておると、おかっぱ頭の水兵服の子が目の前をたーっと走った。その子があたしに似とったらしい。あらオッコ、こんなところになんで居る、と追いかけて右側の列に寄った途端。
 どーん!と警報もなしに爆弾が落ちたと。
 姉やんは何が起こったかわからずに目の前がまっ白になって。
 気がついたら頭から砂を被って地面に倒れておったと。急いで起きてみたらあんた、隣の列の人は全滅よ。姉やんが並んだ列のほうは無事。まあ生き死にがほんのちょっとの差で分かれてしもうた。
 姉やん、家に帰った途端に『オッコ、あんたどこにおったー!』て、青い顔してわんわん泣きよる。知るかい、あたしやずっと家におったのに。
 
 なんの話しよったかね、ああ島の話。
 見可島にゃ空襲はなかったけど、いっぺんだけ海に爆弾を落とされたな。
 ドドドドーンいうて雷が百個落ちたかみたいな音がして水柱が上がって、そりゃあ恐ろしかったよ。それが空襲警報が解除になると、それっとね、みんなバケツ持って海岸に走るわけよ。なんでって、魚が浜にいっぱい打ち上げられとるからよ。捕まえるんよ、大漁、大漁いうてね。とにかく食べにゃいかんから。
 まあとにかく毎日ひもじかった。米は兵隊さんのものじゃいうて、あたしら毎日うすーい芋粥やら麦飯ばっかりじゃし。どこの家も子どもが多いのに、配給切符は少ないし。足りるかあ。
 ほんでも、うちはなんでか毛糸がいっぱいあって、かあやんが編み物上手だったもんで、セーターやら靴下やら編んでは食べ物と換えことしてね。あとは向かいの弓張ゆみばり大町まで船で買い出しに行って、なんとか食糧を手に入れとったなあ。

 その弓張も、焼夷弾で焼かれてね。
 夜だった、まだ覚えとる。海の向こうが真っ赤な火の海で。きれいきれい、花火みたいじゃーいうて騒いで。不謹慎と思うかね。ほんでもあたしら島に居るからどうすることもできんもん。
 弓張は大きい港町よ。なんでもあった。呉服屋も靴屋も芝居も、最新の物が船で来るんで、いつかあっこに住みたい思うとった。うちの総領のねえさんは女学校に通ったし隣の人は親兄弟が住んどった。
 それが目の前で焼かれてなーんも無しになっていく。海のこっちからは阿呆みたいにじーっと見ることしかできん。悔しい辛いもくそもない、なんもできん。
 わかるか? いや、わからんでええ。若い子はあんなん知らんでええ。

 もうね、その頃になると誰もラジオの言うことなんぞ信じとりゃあせん。なにが勝った勝ったじゃ、頭の上には敵機しか飛んでなかろうがと。それに引き換えこっちはなんじゃ。鉄の供出というて鍋やら鍬やらぜんぶ出せ、しまいには寺の梵鐘から学校の床の釘まで出せ言われて、もうむちゃくちゃよ。ああこれは日本が負けるなと子どもでもわかる。でもそんなこと口には出せん。憲兵に引っ張っていかれるもん。

 ようやっと終戦になった年の暮れに、ミツちゃんは親元に帰っていった。
 帰り際になんか言うとったなあ。
「小さい頃、弓張で助けてくれたのはオコちゃんね」て。
 姉やんにしろミツちゃんにしろ、妙なこと言う。
 あれは、どういう意味だったんだろね。

 ミッちゃん、生きてたらもう数えで90かね。
 元気だろうか。

(次の話)


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