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〔短編連作〕弟月町のひとびと ⑰@昭和

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17.インタビュー:シゲやんの話(終戦直後)


 ワシはいぬ年生まれよ。三男じゃけん繁三しげみ。シゲやんと呼ばれとった。
 終戦ごろから、いや弓張大町が焼けた頃からじゃったろうか。ワシらの方にも食糧求めて来るもんが多うなった。うちはそこそこの畑持っとったもんで、イモやらカボチャやら売ってくれ言うて大きなリュック背負った人がよう来た。金は日に日に価値がなくなるいうてな、だんだん着物やらの物々交換になっていったな。

 来るのは大人だけじゃないぞ。子どもの『買い出し部隊』もリュック背負ってぞろぞろ来よった。空襲で親が死んだとか妹が結核とか、お涙頂戴ばなしをしくさって、玄関先でめそめそ泣き出す者もおってな。うちのおふくろはそういう話に弱いもんで、かわいそうにと多めにイモを包んでやったりして。いやいやうちだって充分食えとらんのに、かあやんは人が良すぎるぞと、ワシはよう文句言うてやった。
 そしたらおふくろは決まって言う。
「シゲよ。親を早う亡くすくらい辛いことはないぞ……」
 おふくろは小さい頃に親を亡くして奉公先で苦労したからな。戦災孤児と聞いて、たまらんかったらしい。

 見可島に、遠縁のコウばあやんという人がおった。独り暮らしのコウばあやんのことをおふくろはいつも気に掛けて、時々は物を届けたりしとった。
 その日もワシは干し大根やらなんやら持たされて、島まで使いに行かされた。
 渡海船は甲板まで人や荷物で足の踏み場もない。みんな買い出しの人らじゃ。そん中に、子どもらだけの集団がおった。
 おやぁ、見たことある奴らがおるぞと。よくよく見たら、せんにうちへ来てイモを多めにせしめたガキどもじゃ。お父がどうしたお母がどうしたと笑いながら馬鹿話をしよる。なんぞ、ちゃんと親がおるんじゃないかと。ワシは腹が立って、ガキどもに言うてやった。
「やいやい、誰が戦災孤児じゃ、この大嘘つきが。エンマさんに舌を引っこ抜かれてしまえ!」
 するとおかっぱのおなごの子がな、ペロリっと舌を出して。
「引っこ抜けるもんなら抜いてみぃ。あたしの舌は長いんじゃ」
 と、鼻の頭までなめてみせよる。なんちゅうおなごじゃ。

 その時、甲板がざわざわし始めた。警察じゃ、警察が荷物調べよる、と内緒声が伝わってきた。
 買い出しで買えるのは、イモが一人何貫と決まっとった。違反したらおおごとよ。うまいこと隠す者もおったらしいが、ヤミ米でもうっかり出てきてみい、縄かけられるわい。ワシはべつにヤミ米なんぞ持っとるわけじゃないのに、警察と聞くだけでおそろしうなった。

「オッコ、あれ出せ」
 年長らしい男の子が言うと、さっきのおかっぱが大きな風呂敷をさっと拡げた。布団風呂敷いうての、引っ越しの時に布団を包めるくらいの大きいやつじゃ。それを並べたリュックに掛けて、その上に島の子どもらが座る。
「あんたも早う座り」
 おかっぱに言われて、ワシも一緒に座る羽目になった。

 雀の子みたいにリュックの上にずらっと並んで、てんでに歌をうたう、馬鹿話をする、本を読む……警官が回ってきても知らん顔じゃ。
 警官も子どもの荷物までは詳しう調べん。おいその荷物はなんぞ、ハイ芋です、そうか芋か。ちゅうくらいで向こうへ行ってしまう。
「な。買い出し部隊は子どものほうがええんじゃ」
 年長の子が得意げに言うたことよ。
 警官が船室に行ったのをよぉっく確かめてから、
「お前らぁ、まさか米はないじゃろうが、イモも多過ぎやせんか」
 とワシは聞いたが、みんな黙ってニヤニヤしとる。
 ほんとに、なんちゅう奴らじゃ。

 島の子らは船の乗員とも顔見知りらしかった。
 甲板には煙突と大きなラッパみたいなのがあった。石炭は足りん頃じゃし、何を焚いて動力にしとったかは知らん。なんにせよ釜焚きさんがおったのは覚えとる。
にいやん、イモ焼いて」
 オッコは甲板のラッパみたいなとこから首突っ込んで、釜焚き兄やんに頼みおった。えらい慣れとったから、いっつも頼みよったんじゃろな。
「おう、そっから落としてこい」
 兄やんに言われた通りラッパからサツマイモをごろごろっと落としてな、そしたら釜の熱で焼いてくれるわけよ。焼けたら当然、兄やんにも分けてやる。回りの大人らは文句言わずに見逃しておったな。

「あんたもあげよ」
 焼けたイモを気前よく分けてくれたなと思ってかじりよると、オッコは悪い顔してなあ。
「ほい食べた。これであんたも同罪じゃ。あたしらのイモが多いのどうの、もう言うな」じゃと。
 つまりイモは口封じじゃったわけよ。悪知恵のまわるやつよ。

 話をしてみると、オッコはワシより(学年が)二級上の申年じゃ。父やん母やんは揃うとるが、兄姉が多いんで食糧が足りるわけがないとか。母やんは編み物名人で、妹には可愛い服を編んでやるのにオッコには水兵みたいな服しか編んでくれん、胸に勲章の刺繍まで入れられて腹立ったから習字の墨で塗りつぶしてやったとか。背が小さいのは毎日重たい水桶持たされるからに違いないとか。まあよう喋ったな。ワシはふんふんと聞く一方じゃ。

 船を下りる時になって、オッコは荷物を背負うのをちょっと手伝ってくれという。それみい、欲張りすぎじゃと思いながらリュックを持つと、あんまりな重さにワシは驚いた。
「おまいぁ、こんな重いもん持って桟橋歩けるんか?」
 オッコはケロっとして答えたもんよ。
「なんのなんの。あたしは水汲みで鍛えとる」

 見可島の井戸水は塩気が強い。飲み水はわざわざ船で運んで港近くの貯水タンクに溜めるんよ。島の人間はそこから毎日水を汲んで、石段や坂ばっかりの道を家まで運ぶ生活をしとった。大人でも音をあげるような重い重い水桶を、おなごの子が毎日運ばにゃならん――それを思うとな。
 孤児じゃと嘘ついたことも、リュックのイモが多すぎることも、なんかもう、責める気が失せてしもうたものよ。

 コウばあやんは目を悪うしとった。
 トラコーマかなんかに罹った後、ろくな治療もできんかったせいじゃろ。
 うちからの差し入れをえらい喜んでくれて、こんな物しかお返しがないなあと言いながら、炒ったムカゴを新聞紙に包んでくれた。
 ムカゴ食うたことがあるか? 日当たりのええとこに出来たやつは美味いぞ。炒って塩ふったらジャガイモみたいな味ぞ。
 帰りの船で食おうと楽しみにしとったんじゃけどな。

 船着き場の近くで、あの子に会ってしもうた。岬の家におったミッちゃんじゃ。
 戦時中、端手の岬は高射砲の砲台を作るんで家は取り壊しになったと聞いとった。二人おった姉さんは女学校を卒業せんうちに嫁に行き、ミッちゃんひとり疎開で見可島に預けられたと。
 ミッちゃんは痩せて、モンペがぶかぶかしとった。左手に、いつ換えたかわからんような汚い包帯巻いてな。だいぶ前の勤労奉仕の時に怪我した傷が、いつまでも治らんいうて。栄養失調だったんじゃろな。もうあの頃は皆、栄養失調よ。
 ええ育ちのお嬢さんが、なんでこんなとこで痩せこけて青い顔しとるんぞと思ったらワシは腹たってきてな。
 気がついたら、ムカゴが入った新聞包みをミッちゃんの手に押しつけて、そのままだーっと船着き場に走っておったわ。
 帰りの船の中で腹の虫がぐうぐう鳴って、ちょっと、いやだいぶ後悔した。ばあやんにもらったあのムカゴ、なんで全部やってしまったんじゃろ。半分にしときゃあ良かったとな。

 それから冬になって、ますます食糧は不足した。
 毎日腹が減って腹が減って。もう買い出しの人らにイモ譲ってやる余裕はなかった。
 大潮の時、弟を連れて磯へ行った。冬牡蠣なんかは大人にとられてしもうた後じゃったが、亀の手とかヨメガカサくらい残っておりゃせんかと思ってな。岩にへばりついとる貝はたいした腹の足しにはならんが、汁の実にしたら家族で食える。
 
 潮が引いとるから、いつもよりもっと奥の岩場まで行こうとしたら、プーンと良い匂いがしてきた。まるで飯の炊けるような匂いじゃ。見ると、岩の上に小さい子どもが立っておる。おかっぱ頭で水兵服を着て、見可島のオッコに似とると思ったが、もっと小さい子じゃ。子どもはなんも言わず、あっちを見よというようにアゴをしゃくった。なにを生意気なと思ったが、その先を見るとな。

 船がおった。
 磯の隙間の、大潮のときくらいしか見えん小さい浜に釣り船が泊まって、甲板で知らんおじさんが飯を炊いておった。釜いっぱいの白い飯! 夢みたいな光景じゃ、ワシも弟も釘付けになった。おじさんは丼に白飯をよそうと、おかっぱ頭の子に握り飯をひとつ握ってやる。子どもが船べりで食べ始めると、また握り飯をひとつ、またひとつ。それを両手に持ってな、「ホイ」とこっちに差し出してくれた。
 信じられるか? 白い飯ぞ。
 ワシも弟も、礼を言うのも忘れて、夢中でかぶりついた。
 握り飯は磯くさかった。おじさんが海水で握ったんじゃろう。けどそんなもんどうでもええ。白い飯! 固い麦も雑穀も混じってない、炊きたての白い飯! いったいいつぶりじゃったろうか。ああこれは狐か狸に化かされとるに違いないとも思ったが、食い始めたら止まらんかった。
 
 そうして握り飯を食べ終わった後、ふと顔を上げると、船もおかっぱの子も消えておった。やっぱり狐か狸じゃったかと。いやしかし、掌に残った飯粒は本物じゃ。
 ワシは残った飯粒をひとつ残らずだいじに食べながら、ええか、このことは誰にも言うてはならんぞと弟に言い聞かせた。

 このご時世に釜いっぱいの白い米とは、ヤミ米に違いない。しかもふだん漁師も船を着けんような荒磯にこっそり船を着けるとは、なんぞ後ろ暗いことがあるんかもしれん。そんな人から握り飯もらって食うたなぞと親に知られたら――それくらいは子どもでも考えるわい。

 それにしてもうまい握り飯じゃった。

 今はほれ、なんぼでも白い飯が食える時代になったが。
 あんな美味い握り飯を食うたことはないのう。

(次の話)


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