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香川徳島旅行 / 真の闇・星の光

学生時代からの仲間たちと2泊3日で香川と徳島に行った!


香川県庁舎1
香川県庁舎2


1日目はレンタサイクルで高松を観光したので
翌朝向かう予定の金比羅山周辺のホテルを取ろうとしたが何故かホテルの空きがうまいことなくて、善通寺というお寺さんの宿坊だけがあいていてそこで宿泊することになった。

予約してから気付いたことだけど、善通寺では門限と消灯が21:00で翌朝5:30〜勤行に参加せねばならなかった。

そのために高松観光を早くも切り上げた我々は善通寺へ鈍行の琴電にコトコト揺られて向かう。

喫茶店であり名建築、城の眼


偶然にも善通寺では
善通寺祭という夏祭が開催されていて宿付近は賑やか。
祭りの催しはささやかなものでだったが、
花火もあり夏がはじまったような感覚。
フェスにも海も行ったし花火もしてるしとっくに夏は感じてたけど今まさに始まったなと。


予定通り20:00には宿に戻り、風呂で身を清めて翌朝5:00に起床。
5:30に御堂で勤行を受けた。


10人ぐらいの僧侶の読経を1時間見聞きするというものだったが、普段から瞑想をする自分は贅沢にもこの場で座禅を組ませて頂いた。


多くの僧侶が読経を行う環境ということもあり


1.多くの考えの前提として自分も自然界の1部であり、風や水の通り道であると確認。
(ヴィッパサナー瞑想をはじめて行った時の気付き。前提として)
言い換えれば自然や建築、ウイルス、星々、さまざまなものがありふれる環境の一部であると。

2.自分は坂本ひろきakaほかまという存在であり神戸ではファッションの仕事をしているがそれは後天的な自身での意味づけの姿でもっと他に好きなものや魂が震えること、真の姿があるのではないかという気持ち。
改めてルーツとは何か問いたくなった。
逆に自分の今の在り方に退屈している、嫌気が差している、そんな感覚も同時に感じた。


3.僧侶たちの多重に重なる、文字として見れば意味は伝わるが音としては意味不明な読経はまるで洋楽や犬の鳴き声、sexの喘ぎ声のようで、私たちは意味のある言葉で会話するが、実際は意味なんかよりそれを音を含んだ動作として相手に伝えようとする気持ち、俗に言う言霊や声色が大切だということ。

善通寺、五重塔



寺に泊まるとかwwwwって思ってたけどまさかの大収穫。やりぃ。



と有難い気持ちになり、勤行も終えたので帰ろうとしたが、僧侶たちに呼び止められ、何やらここが弘法大師こと空海の生誕の地であると知らされ
「勤行を受けられた皆さんはこの御堂の地下におる弘法大師様がお生まれになられたところを行ってください」と言われて
案内されるがまま着いていくと
この先は「真の闇」が広がっており、物など落とすと2度と見つかることはないと告げられ階段を降された。


なんか勢いのまま連れてこられて階段を下ったが、
真の闇とは一体・・・。


と各々が思いつつ、洞窟を進んでいくと次第に本当に何も見えない闇に包まれてしまい、右も左も前後左右も即座に方向感覚を失いかけた。


お経のワンフレーズを唱えるように言われていたが、唱えているうちに動悸と震えが止まらなくなって真の闇に呑まれかけた。
そんな状況で、壁づてに体感25分(実際は恐らく1,2分)ほど恐ろしい気持ちで歩くと洞窟の中央に到着した。
そこでは観光地の炭鉱や鍾乳にあるようなガシャガシャの音質のスピーカーから弘法大師様の有難いお言葉が流れていた。


「私が弘法大師です。皆様よく来られました。お会いできて運が繋がりました。」


弘法大師様の前でふざけんなと思ったのは多分気のせいで、有難い気持ちを胸に、帰りの真の闇を小走りで壁に激突しながら帰った。

本当にそこいらのジェットコースターやお化け屋敷より怖かった。
お化け屋敷の中でも真の闇で脅かす作ったら多分、1番怖いと思う。なんて恐ろしい発想。

この真の闇体験を通して自分はまた新たなことに気付いてしまった。すでに高所・先端恐怖症なのに、暗所閉所恐怖症でもあるということに。

善通寺顔はめパネル1
善通寺顔はめパネル2


その後、我々は善通寺を改めて見学して
金比羅山へと向かい、夕方へは徳島県神山町に行き、
東京や全国から移住してきて小さな町に住まう人たちとBBQをして話を聞かせていただいた。


地域産業のこと、東京で感じたしたい暮らしと仕事中心の暮らしのギャップ、これからの地方について。


東京でクラブの店長をしていた人、DJをしていた人、アパレルだった人、そんな人たちがたくさんいてみんながすだちを作っていた。


今ほとんど仕事をしていない自分には、
すだちや音楽やファッションのカルチャーを通して繋がっている神山の人たちはすごく眩しくてキラキラしていた。
しかも、みなめちゃくちゃいい人!


翌日にはNPO法人里山みらいさんから、神山すだちや特産品の生産を繋ぎ、神山の未来を作っていくお話もお伺いした。


神山の方々とBBQ


僕は数年前に専門分野を学ぶために徳島県に移住も考えていくつかの町を見学したが、
その際に感じた地方の表向きの暖かさと陰湿さを感じたが神山の人たちにそんな陰湿さは感じなくて嬉しかった。 

けれど、数年前に都落ちを経験して、他の地域に移り住みたいという気持ち、もう無茶して傷つきたくない気持ちがすごくあるからこの優しくて大好きな人たちが神山で見た綺麗な星の光くらい遠くて誰もがキラキラしているように感じた。

この表現はなんかとても臭いな笑。


すだちの作業を見学1


地方で若者は宝で素晴らしい存在だが、地方の人たちはそんな若者を離したくないからあの手この手で嘘をついたりしてまでも囲い込もうとする。


この人たちは自分達の利益のためなら嘘をつくのだと思い、その時は希望を持って徳島県へ向かったが結果としてその時は逃げ帰るような形になった。


気持ちとしては山奥の少数部族に槍持って追いかけられるような感じだった。
実際はバスと電車に乗ってただけやけど。



都落ちした時も、LOST BIRDを始めてからも大人に嘘をつかれてお金で痛い目を見た。
だから例え些細なことでも嘘をつく人たちとは一緒にいれない。でもこの世はサイコパスみたいな人が金を稼げる


そうこうして、社会と距離をとりながら、
生きていると中々お金も多くは回ってはこないし、
人からも嫌な目で見られて働いていないような雰囲気を妬まれる。


ただできることは世の中にたくさんあるが、やりたくないことや関わりたくないことも沢山ある。
だから最低限守るべきものを守って、無理に地方や都に行くわけではなく今を精一杯続けてきたのだ。



だから、
またこうして徳島県にきて、
以前とは違った角度からこの土地のことを知ると何かそそられるものがあったし、
ほぼニート生活をしている僕においでよというお話や周りのプッシュもあったけど無理に行く必要はないと気持ちは以前に比べてすんなりしていた。

ただ徳島のことが前より好きになった。


すだち作業見学2






社会人になってから何をやろうとしてもうまくいかないような感じ。

最初の3年間で、やりたいキャリアを全てクリアしてしまって、思い描いた姿になってしまい、
その先にどんな景色が待っているのかということを考えていたが
気がつけば生きる目標や夢も特にない灰のような人間になってしまっている気がする。
特に大した経歴があるわけでもないが、
漫画で言うところの最強になってからはずっと敵なしだから、ひたすらに虚無の中、戦いの螺旋から降りれないみたいな。
バガボンド的な。
いいように言うなよ何も成してないくせに。


僕は同じことを何度もするのや列に並ぶことが苦手だ。

大黒摩季的に言えば、何かやらなきゃ誰にも会えないみたいなことがずっとあと何年も死ぬまで続くと考えるとそれはただでかい山を見て登っても登らなくていいという感覚。

稜線
すだち


最近、星になった友人は才能を持て余して地上を去ったが、彼はどんなこと考えていたのだろうか。


今回経験した真の闇というのは本当に暗くて前後左右何があるかわからなくて本当に怖い。
何もないという環境で光、見えるもの、像を描くということがどれほど重要なことなのか思い知る。


しかし、大きな夢が今何もなく
誰か俺というキャンバスに描いてくれ、めちゃくちゃにしてくれ、レイプミーという自暴自棄というかパンクしそうな気持ちもなく、
できることならそっとしておいてくれと思う、夢に満ち溢れた10代、その夢を全てやり尽くして次の景色を見ようと躍起になった20代前半の自分には見せれないような自分がいる。


やり尽くして何もかも真っ新な景色でなんでもできると思ったがそれは真っ暗闇でもあると気付いた20代後半、いま。


空が青すぎる



こういう風に思えるのはトライしてきた証拠だよと心の中で自分を甘やかしてくれるお姉さんAIが声をかけてくれる。
それを聞いた座禅を組んで悟った俺が、今あるものしかないからチャレンジしなければ、人と関わらなければ、傷つくことも光を求めることも必要ないと言ってくる。


トライして成功すればいいけど、全くもって全てが苦行ならば逃げるべきか。
逃げないのが大人なのか。
こうして考えているうちに行動や言葉にすらならない日々が積み重なる。

同じ話を違う言い方でループしているかも。
書きながらわからない。



相変わらずぐちゃぐちゃな文だけども

まとめるとこんなことを友達が誘って連れ回してくれた香川徳島の旅で思っていた。

暗いところを知ったからこそ、
ネガティブな文なようで暗い気持ちではない。
暖かくも冷たくもないサウナ4セット目以降の外気浴の時のような気持ち。

最後に旅の締めにと入った居酒屋でも、すだちチューハイを飲みながらこんな話に恋愛を織り交ぜたりしながら、
俺たちもこんな話する歳になったんだね、やっばり同志だねと手を握り合って笑いあった。


そして、神戸でも食べれる徳島ラーメン食べながらバスに揺られて神戸に帰ってきた。
今回は逃げも向かいもせずに凪で鳴門海峡を渡ることができた。

普通が1番というが、一喜一憂が激しく、躁鬱系の自分だからこそ普通というか感情を凪にするというこの状況がとても良いことなのだとこの度を通して学んだのかもしれない。

あ、あと滝行したり、上勝にも行ったり、川遊びもしたよー(省略)


滝行1
滝行2

上勝にて


最後に旅とは関係なく僕に最近あったことは

・LOST BIRDの店舗営業終了
・家がなくなる(これまた別の話)
・求職開始
・彼女募集中
・やりたいこと何かあればいいな


こうして事が終わってはまた何か始まるんだな。


そんなこんな、
青春時代や子ども時代といったモラトリアムが終わるなということを予感させるように、
冷えて固まった豚の油のような人間になっちまったけど精一杯生きて死んだら夜空に輝く星になれたらいいななんて思った厨二病28歳の始まりなのだ。


これ書いてたら
ECDさんの自殺するよりマシが流れた
死んでたまるかよ!クソ!世界が!


生きろ!
泳げ!ほかまくん!
君はもう立派な大人だよ










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