『芝』『言葉』『台所』

 言葉を交わすのは面倒だ。だって言葉は心を取りこぼす。心の全てを伝え切れるほど言語というデバイスは出来がよくないし、取りこぼした心が相手に刺さることもしばしばだ。そうならないよう私なりに気を遣い続けるうちに、私はすっかり話すことに倦んでしまった。他人と関わるのは好きだけれど、それでも面倒さの方が勝ってしまう。私は鈍い臆病者だ。

「わう!」

 ソファでまどろんでいると、飼っている柴犬が鳴き声を上げた。知らない人の匂いが気になるのだろう。初めてではないのにこの反応で、敏感なのは飼い主に似たかと苦笑する。騒音の心配は要らないので、単純な可愛さだけが印象に残った。
 台所から肉切り包丁を取り出し、作業部屋へ足を向ける。近頃は見ないテープレコーダーを起動し、吊るした男の陰茎を削ぎ落とした。

 絶叫。

 依頼人はどうもこの男によほどの恨みがあるらしい。代理殺人の依頼時に、苦しんで死んだことが分かるようにと強く頼まれてしまった。追加費用を加味しても手間賃以上となる値を提示されたので受け入れたが、こんな風に被害者との繋がりを示す証拠を欲しがる気持ちは全く分からない。勿論、そこで踏み止まれる人物であるなら私に仕事を依頼したりはしないだろう。あるいは冷静な依頼人に一歩を踏み出させるほどの狼藉を働いたのかもしれない。特段の興味はなかった。
 私はいわゆる殺し屋だ。ジョン・ウィックのように殺すだけでなく、死体処理や証拠隠滅も万全な、オールインワンのサービスを提供するタイプの殺し屋である。もちろん私だってジョン・ウィックのように殺すだけで済ませたいが、警察機構が硬い日本国でそうはいかない。可能な限り個人で完結させることが必要なのだ。
 思考をよそに、私は着々と男の解体を進めていく。可能な限りの苦痛を与えろとのオーダーであるから、ベースを凌遅刑としながらも気絶しない程度の痛みを与え続けなければいけない。できる限り神経の多い部位を選んで切り取っていく。

「待て、待ってくれ!」

 叫び声だけ上げていればいいのに、男が私に話しかけてくる。録音に余計なノイズが混ざるのは良くないので、作業とテープレコーダーを一旦止める。

「どうしましたか?」
「頼む、殺さないでくれ。妻と娘がいるんだ」

 テープレコーダーを動かして作業を再開する。面倒な対話を許したのに通り一遍の除名嘆願とは。私の感情を動かすことさえ出来ない時間の無駄だった。大体、身柄を攫うための予備調査で彼に妻子がいることくらいは知っている。1+1は2であると言われたところで、そこに驚きはなかった。

「頼む、だったら!依頼だ、依頼をさせてくれ!」

 再びテープレコーダーを止める。この状況で依頼を持ちかけてくるというのは単純に面白い。

「この怪我だ、私はもう助からないだろう。君を差し向けただろう相手も見当がつく。だから……妻と娘を守ってくれ」
「ほほう」

 この人にとって、妻子は大事なのだと分かる。激痛の中で、自分が居なくなった後の妻子をおもんぱかるというのはなかなかできることではない。
 だが、どうだろう。陰にならともかく日向に守るというなら彼の妻子と会話をすることは避けられないだろう。こうして言葉を伴わずに人と会話できる現状は天職で、それを止める必要があるのは面倒かもしれない。
 だが、この男は面白い。ならば、試しをもって結論とするのも悪くない。

「守るというなら心もでしょう。ですが私はあまり会話が得意な方ではないのです。職域から離れることを依頼されるのですから、貴方にもそれなりのものを出していただきたい」
「金か」
「お金もですが、意志力を。あなたの死は避けられない。この後、貴方が死ぬまで叫びを上げなければ受諾いたします」

 ぎり、と男が歯を食いしばった。この場において言葉は不要で、意志を示す態度が快い。再びテープレコーダーを動かすが、男は呻き声ひとつ漏らさない。激痛のあまり食いしばった歯が砕ける音はしたが、喉が音を鳴らすことは決してなかった。
 感嘆のため息とともにテープレコーダーを止める。自ら手にかけておいて言う事ではないが、素晴らしい人物だと思った。

"約束だ"

 歯がなくなった口で語る彼に、私は頷きを返す。頬を失った顔で微笑んだ彼は、ことんと首を落とした。死んだのだ。

「まあ、仕方ないね」

 依頼されたのだから仕事は仕事だ。彼が血で示した依頼額と口座暗証番号をメモし、後処理を終わらせた。この拠点も引き払う必要がある。この後の対応を考えると頭が痛いが、依頼されたことはこなさなければならない。
 転職の準備を始めよう。

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