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『花』『鳥飼い』『鈴』

 傍から見ると、鳥飼いほど大変な仕事はない。人の身の丈を遥かに超える巨鳥を育て、飼い慣らし、人に引き渡さなければならないのだから。高台まで持ってきたミルク瓶や干し肉の塊を運び込みながらそう言うと、彼女は花のように笑った。

「育てるのも慣らすのも難しくはないよ。擦り込みがあるし、本能で飛び方を知ってるから。仕事といっても鳥舎を掃除して寝床を整えるくらいだね」

 などと、あっけらかんと言ってのける。
 だが、俺は巨鳥の雛を見たことがある。成人してからしばらくだから、20歳くらいのことだろうか。雛だというのに俺より頭1つほど大きくて、あまりの巨大さに腰を抜かしてしまったのを覚えている。巨鳥そのものは空輸に使われているから何度も見てきたが、雛の時点であそこまで大きいとは。今でも震えがくるほどだ。
 それでも、巨鳥の産地として成長してきたこの里では、鳥飼いを輩出しない世代などあってはならなかった。誰もが尻込んだその仕事を、彼女だけが受け入れたのだ。
 こうして身銭を切って食料を渡しに来るのは贖罪の意味も込めている。気にしないでいいのにと彼女は笑ったけれど、それでも俺には罪悪感があるから。

「今日も何か手伝わせてくれ……鳥の世話以外で」

 だから、こうして彼女の家の世話をする。戒律のせいで鳥飼いは里から離れて暮らさなければならないから、彼女の生活は荒れがちなのだ。

「じゃあ料理をお願いしてもいいかな。あの子たちが帰ってくる前にお願い」
「了解」

 などと答えて、軽く掃除した後にキッチンで料理を作る。数日前に作った煮物はしっかり減っており、問題なく食事ができているようで安心した。
 今日も新鮮な野菜を持ってきたから、別のメニューを作ってやることにした。キャベツはザワークラウト。人参、大根、蓮根はミルク煮にして牛脂を浮かべてやる。これなら暫くは保つだろう。朝に練ったパン生地をオーブンに入れ、こんがりと焼く。
 彼女の好みは掴んでいる。これなら喜んでくれるだろう。キッチンの火を落として彼女の家から出ると、日は中天から傾き始めていた。一刻もすれば日は沈み出し、巨鳥が食餌から帰って来るだろう。情けない事に、そう考えると震えが来る。

「やあ、ありがとね。ごはん楽しみにしてるよ」

 ドアに設えられた鈴が、俺の出立を彼女に伝えた。穏やかな春の風が彼女の長い亜麻色の髪をなびかせる。鳥たちにとっては順風だ。すぐにでも出立しなければならない。

「ねえ、アクィラ!」

 そそくさと立ち去ろうとした俺の背に、彼女の声が叩きつけられる。

「次は勇気を出してみて!鳥飼いになれるようにさ!アクィラなんて名前なんだから行けるって!」

 それは、彼女からの婚姻の申し出だった。鳥飼いは里から離れて暮らさなければならない。鳥飼いになろうと誘われるのは、つまりそういう事だった。一人でも生きていけるような、強い彼女が臆病な俺を誘う理由は分からなかったけれど。
 だけど、信じられていることだけは確かだった。それを思うと、不思議なことに震えが止まった。
 巨鳥のはばたきが聞こえてくる。いつもより早い。風の調子が良いからだろう。そして、風の轟音と共に俺たちの元へ着地する。
 嘴を抱えるようにして撫でる彼女に手招きされて、俺も巨鳥に近寄った。その嘴は硬く、羽根はごわごわしていて、目つきは獲物を狙う野獣のよう。だけれど、不思議と震えは来なかった。
 それを見取って、巨鳥は俺の頬へ嘴を擦りつけてきた。転ばせるような強さはなく、ただ穏やかに、撫でるような擦り方だった。

「鳥はね、恐れる者を襲うの」

 それは、彼女の経験則だろう。鳥飼いが毎年のように巨鳥に襲われて死んでいたあの頃から得た、彼女なりの教訓。彼女はそうやって生きてきたのだ。

「最初の頃はちょっと怖かったから、あの子たちも気が立ってたんだけどね。それに気付いて怖がらないようにしたら、もうこんな感じ」

 そう言う彼女に、頬擦りするように嘴を寄せる巨鳥がいた。その姿は親子のようで微笑ましかった。ようやく理解する。怖がるから怖いのだと。恐れなければ怖くないのだと、ようやく理解できた。

「うへへ、これで里の娘みたいに結婚できちゃうね、私も」
「なんだよその笑い方」
「新婚生活ってやつ、やってみたかったからさ」

 俺たちの掛け合いを見た鳥たちから、なにやら呆れたような雰囲気を感じた。彼らはのっしのっしと歩いて巨鳥舎に戻っていく。置き去りにされたような気分になった。

「私たちも家に戻ろ。大丈夫大丈夫、里長も鳥飼いが増えることを嫌がったりしないって」
「いやいや待てよ、俺でいいのか?」
「良いに決まってるじゃん、毎日毎日料理してくれて話し相手になってくれてさ。あの子たちを怖がらなくなった今、最高の物件といって過言ではないね!」

 巨鳥舎に入ろうとする最後の一羽が、甲高い鳴き声を上げた。とっととしろ、と言われているようだった。やれやれと言ってドアベルを鳴らす彼女の後ろを追いながらも、頬がにやけるのは止められなかった。

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