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往来をもとめて。

昨日は箱根で仕事だった。がらがらの東海道新幹線で小田原まで。小田原に着いても、明らかに人が少ない。

ものすごく寒い朝で、待ち合わせまで時間があったので、こりゃたまらんと駅前のそば屋に駆け込みかけ蕎麦で暖をとる。

しょっぱいつゆを飲み干して、なんとかお腹のなかにぽっと温かいエネルギーを感じ、ぼんやりと自動ドアの外を眺める。

本当に人が歩いていない。本来あるべき往来がほとんどなくなっている。お土産屋も、観光案内所も、コーヒースタンドも、お客さんの姿は見えない。(そば屋には僕を含め4名の客。みなズルズルとそばをすする。BGMはテンポの良いジャズが流れていて、それが寒々しさを引き立たせる)

商売には、「たくさん往来のある場所に出店さはて利用してもらう」というものと、「往来がない場所でも、それ目当てでわざわざ来てもらう」ものがある。

とにかくたくさんの人が往来する場所ならば、自販機を置いただけでも売上は立つ。だから駅前は家賃が高いし、人目のつくウェブバナーの広告は値が張る。

それとは別に、まったく往来のない場所なのに、それ目当てに人が集まる場所もある。人里離れた隠れ家カフェ、すぐに売り切れになるネット限定販売のパン屋さん。

ひとけのない小田和駅で、往来がないと成り立たない業態はつらいなあと思ったが、それはあくまで目の前で起きている現象のこと。

いまはいろいろな飲食店やサービス業種が、実際の往来はなくても、気持ちの往来をつくることで、新たなサービスを立ち上げている。デジタルが、オンラインがそれを可能にしたり、実際の往来の仕方を工夫しているところもある。

わざわざ来てもらうタイプの商売も、そもそも気持ちの往来が活発だからこそ、ひとけのないところをあえて選ぶことができる。

リアルだろうとオンラインだろうと、往来がなくなると悲しい。もはや朽ち果ててもおかしくない家屋は、何年も誰も足を踏み入れない。数年更新されてないブログの最終更新日は火曜日だ。

いかに往来をつくれるか、なのか、往来は今どこにあるのか、なのか。自分はどちらが向いているか、そしてそれがなんなのか正しく捉えられているか。いま考えていることはひとりよがりになってないだろうか。

昨日今日でそんなことを考えた。

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