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「したてやのサーカス」を読んで思ったこと。

既存の決めつけをせずに、自分のなかにある小さなイメージや引っかかりを全部集め、一つひとつ根気強く丁寧に積み重ねていくと、まだどこにも存在しない、それを表す言葉さえもない、独特で不思議な形だけどポップでおもしろい「何か」をつくれるはずなんだ、と。 したてやのサーカス/高松夕佳 聞き手・編(夕書房)P58

「したてやのサーカス」という本を読んだ。音楽家の曽我大穂、ガンジー、ファッションデザイナーのスズキタカユキが中心となる舞台「仕立て屋のサーカス」について、当事者、参加者、関係者の証言を集めた記録集だ。

この舞台では、布で構成された円形の舞台上に様々な楽器が置かれている。二人の音楽家は目で会話しながら演奏をする。大きな裁ち鋏を持った裁縫師が布を切り裂き、結い、引っ張り、縫う。光の当て方が変わる。電球が深海を泳ぐ魚のように揺らぐ。

僕は、この舞台について名前は知っていたが実際の公演を見たことがなかった。なぜか少し、自分の関心ごとから遠いものだと決めつけていたように思う。

この本を刊行した夕書房さんが知り合いだったことと、信頼する本屋であるpeople bookstoreの入り口すぐの平台に置いてあったこと。そして本そのものの佇まいがとても良かったことからこの本を手に取り、すぐに読み切って、ああ、今まで公演を見逃してきたことを後悔した。

ちょうど有料配信中だった無観客公演の映像を見て、この舞台のことをほんの少しだけ知ることができた。映像はとても素晴らしかった。新しい、いまの表現のはずなのに、すごく昔の外国で行われた芸術を見ているようだった。後半、ボーカルエフェクトをかけた演出が「ヴォン・イヴェール以降の音楽」で、ああ、現代の表現なんだと感じた。(有料配信は17日までだそう。すごくおすすめです)

この本のなかでは、中心人物の曽我大穂がたどってきた経験と想いがどのように実際のプロジェクトに落とし込まれてきたかを中心に構成される。「100年、1,000年と続くくらい強度のある、新しい舞台芸術のジャンルが生まれる入り口に立ってみたい」という想いから、運営方法、公演内容、入場料のシステムなど、すべてが慣習にとらわれずに一から自分たちで考え、つくっている。これは本当にすごいことだ。

先日、ミナペルホネンの皆川明さんを箱根本箱にお招きしてお話を聞く機会があったのだが、彼も、「自分は100年つづくべきブランドの最初のバトンを持っているだけ。」と言い、「バトンゾーンにいて、自分が次の走者にバトンを手渡すとき、自分も相手もトップスピードにいる。」という言葉にクラクラした。

この本を通じて、この活動を通じて、「おい、お前もやってるか、やれよ」と背中を押されるような、そんな心強さ(と焦り)を覚える人はたくさんいると思う。少なくとも僕はそう感じる。僕も、そんな風に、長く続く考え方や企画の入り口にいたい、と思う。

ちょうど、この本と並行して平田オリザ著「新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要」を読んでいた。刊行年は2013年と少し古いが、この本は「したてやのサーカス」のB面というか、包括的に支える本だ。芸術や表現が社会にとってどのような役割であるべきかを「新しい広場」という視点で説く。

「仕立て屋のサーカス」で実現しようとする"場"について書かれている箇所があり目を丸くした。引用する。

地縁・血縁型の共同体では熱すぎる、利益共同体では冷たすぎる、その中心の「関心共同体」とも呼ぶべき文化的な共同体を想定することは、夢みがちにすぎるだろうか。強欲資本主義でもない、福祉のばらまきでもない、小さくてしなやかなネットワークを培っていく「文化による社会包摂」こそが、私たちにかろうじて残された道なのではあるまいか。 新しい広場をつくる/平田オリザ著(岩波書店)P62

まさに、この関心共同体が、日々を、暮らしを良いものにするものだと思う。コミュニティ、という言葉でくくるよりも、もっとソリッドな印象もある。仲良しクラブではなく、「ひとりとひとり」が、そこにいてもいいよ、と認め合っているような感じ(これはあくまで僕の感じ方だけど)。

僕も、自分のやっていることとやりたいことを通じて、「小さくてしなやかなネットワーク」のひとつになりたい。時間の捉え方を少しずらすことで、いまこの時がうれしいな、と感じられる機会と場をつくること。

色々と刺激を受け、なんだか今までとは違うアプローチで企画をしてみたい気持ちがうずうずする。まずは、仕立て屋のサーカスの公演を実際に観に行きたいなあ。観終わった後、一体どんな気分なんだろう。

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