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ワッパーとエビチャーハンから学んだこと。

2、3年前のこと、渋谷のバーガーキングで遅めのランチを取ろうと注文をし、2階の席に移動する。そこで周りを見渡して驚いた。

土曜日ということもあるのだろうか、周りは皆若い人ばかり。十代後半かそのくらい。みな、空になったポテトの袋を脇に押し出し、思い思いに大きな声で会話をしていた。

ワッパー(ケチャップを2個追加するのが好き)を食べながら、「ここでは俺が最年長かもしれない」と居心地が悪く感じたことを今でもよく覚えている。

時は流れて今日、職場の近くにある中華屋で早めの昼食を取った。いつも混んでいて、チャーハンがうまい店だ。

エビチャーハンに少しだけ醤油をかけ、ぼんやり食べていると、BGMの有線から吉田拓郎の「シンシア」が流れた。冒頭の歌詞がいい。

なつかしい人や町をたずねて 汽車を降りてみても 目にうつるものは 時の流れだけ

この店では、いつも、店員の元気なおばちゃん達が店を回し、学生街なのに客はサラリーマンばかりだ。今日も、みな僕より年上に見え、なんだか心地よく感じた。

いま、33歳という中途半端な年齢なので、場面によって最年少になったり最年長になったりする。今のところ最年少の方が心地よく感じるのは、僕が末っ子ということと、何かを教えたり指導するより、学ぶことの方が好きだからだろう。

どちらが良い悪いはないが、中途半端な属性になってしまうのは避けたい。その企画において、最年少でも最年長でもない立場。主張や意見がないまま、手を動かしても後でやり直すことになるのは目に見えている。

これは、年齢の話ではない。スタンスの話だ。どんな場面においても、自分が教え率いる立場なのか、支え学ぶ立場なのかは選べる。たとえ、周りが役割を指定してきたとしても、選べる。

ワッパーとエビチャーハンから「最年少なのか、最年長なのか」は自分次第だということを学び、その二つは僕の好物である。

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