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命を大切にする教育としての性教育

1. はじめに

 「命を大切に」と聞いて、最初に思いつくのは何だろうか。「だれの」命なのか。自分、家族、友人、恋人、ペット、先生、駅員さん、警察官、お医者さん…。身の回りには、たくさんの命があふれていて、ぱっと「命」と言われて、なにを指すのかさえよくわからないかもしれない。私は、「命を大切にする」授業として、小学校高学年のある道徳の授業が記憶に残っている。「みなさんにとって生きるとはなんですか」そんな中心発問だったような気がする。生きたくても生きられない人がいる、今ある命を大切にしたい。そう感想を述べた生徒がいた。確かにそうだ、しかし、ありがたいことにも「生きたい」と思わずにそれまでのうのうと生きてきた私には、「命を大切に」する実感が持てなかった。題材と自分自身とを重ねることが難しかったのだ。

 命を大切にしないことは、なんなのだろうか。さまざまな形の死、傷、いじめ…様々な問題を抱える現代社会で生きる児童・生徒を教育する場で、求められることは、まず、自分を大切にすることだと思う。自分について理解し、他者を理解することは、自然と「命」を大切にすることにつながるのではないか。日本の首都、東京都では、2003年の七尾養護学校事件 や、2018年足立区の中学校における性教育への指摘 等、性教育にまつわる問題が指摘されている。どちらも、ユニークな性教育に対して、そのせいで生徒の不適切な行動がある、または起こる可能性があるといった理由での指摘である。果たして、性教育は不適切な行動に必ずしもつながるのであろうか。実は、命を大切にする教育そのものなのではないか。ここでは、安楽死、売春、麻薬、同性婚など日本からすると珍しいことが合法とされる国、オランダの性教育に着目し、どのように命を大切にする教育がなされているかを考察する。

2. オランダにおける性教育

 オランダ在住の教育家リヒテルズ氏は、2018年「0歳からはじまるオランダの性教育」というタイトルの本を記した。題の通り、オランダでは0歳から性教育がはじまっているのだ。しかし、オランダの15歳時の性交渉割合はヨーロッパ40ヵ国中36位と他国と比べて特に多いといった報告はない ことから、幼い頃からの性教育に問題があるとは言えず、むじろ、自分と他者を大切にできる人を育てることになるのではないかという。

オランダの学校で行われている性教育には2つの方向性がある。一つ目は「一般的な(狭い意味での)セクシュアリティやジェンダー役割意識に基づく性教育」 、二つ目は2012年に新たに義務化されることになった、性的マイノリティ人々の人権を尊重するすることを教える「性の多様性」教育である 。

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具体的な取り組みは、第一に、「性教育推進週間」があげられる。性に関する問題を扱うシンクタンクとして最古かつ最大規模のルトガーズ研究所と、教育文化科学省、さらに地域の保健所の共催で行われるイベントだ。学校内は赤いハートでデコレーションされ、テーマソングを歌い始まりを祝い、授業で性をテーマにしたものを扱う。保護者の理解も促すため、TV広告なども媒体となるようだ。

次に、絵本やゲームといったツールがあげられる。これらは各家庭にもあるし、学校にもあり、生徒にとって身近なものである。

0歳から、「パパ、ママ、私」「ぼくはどこからきたの」(リンクはドイツ語の絵本)といった題名の絵本で、「違い」や「生まれる」ということを知る。

4歳からは「ノーということ」という絵本が、嫌な時には拒否をしていいということを教えてくれる。(こちらもどちらもドイツ語の絵本です。2つ目は3歳の甥っ子に買いました!おすすめ!というコメントもあります)。また、ありのままの受精と胎児の成長についてのビデオなどで、できるだけ早い時期から、性にまつわる正しい用語を、恥ずかしがらず使えるような指導が行われる。

9歳からは、子どもたちが性についての正しい助言を必要とする際の電話相談や、工夫を凝らしたTV番組も利用される。番組では、有名人や政治家が、初めてのキスなどのテーマで、見ている生徒と等身大の経験を語ってくれることで、より性に関する話がオープンで普通となる環境が用意されている。カードゲームでは、ロールプレイなどが行われ、少し深刻な内容で、こんなときどうする、といった議論を起こさせるものもある。 これらは、人を好きになることを肯定し、自立することを促すための性教育ということができ、命の大切さを身を以て学ぶことができる仕組みと言えるだろう。

3. 考察

 日本とオランダの性教育の進みを比較してみると、日本での遅れ、抜け、唐突さが目立つ。特に、幼少期(学習指導要領上は小学校第二学年以下)における学習ラインと、すべての段階においてセクシュアリティについての学習ラインが乏しいことがわかる。2018年に日本では国会議員による「LGBTに生産性がない」などという心無い発言があったことに対し議論が交わされた。実際に、LGBTの子供の6割が自殺を考えたこともあるという 。この問題はに非常に強く結び付く視点であるが、日本の性教育では取り入れられていないことが事実だ。また、オランダの学習ラインを見ておどろくことは、「秘密」や「身体障害」といった、一見性教育と関係のなさそうな言葉が入っていることだ。しかし前段階を確認すると、快・不快と感じることやコミュニケーションの文脈での「秘密」であったり、身体表現と自己イメージの中での「障害」、そしてその尊重につながるということがわかり、非常に順序だてて理解を促しているように思える。さらに、違いを尊重するための前提として、多様な文化や宗教があることも触れられているのは、移民国家であるオランダならではの考え方である。このように、違いを理解し合うための学習ラインであるからか、言葉も詳しく書いてあってわかりやすいことがわかる。たとえば、家族計画という単語でも、「子供を持つことを延期したり計画したりすることができる」 と表現するのは理解や想像がしやすい。

 道徳教育と保健体育主導で行われる性教育のつながりを見つけることは、難しいかもしれないが、性教育の定義を変えてみてみると、それは命の教育と呼ぶこともでき、密接な関係があると言える。性と命は切ってもきれない関係であり、その上に自分自身があることを自覚することから始めるのは納得である。適切な性教育によって、性行為の増加や低年齢化が起こることはオランダに倣えば必ずしもではない一方で、性感染症や性犯罪、望まない妊娠等の直接的な問題解決につながることは間違いない。さらに、”自分とは”、”他者とは”、”他者との関わりとは”について間接的に学ぶことができ、自分に自信を持って、他者を受け入れるインクルーシブでダイバーシティな社会の実現に貢献するとも言える。

 また、オランダだけでなく、海外の多くの国で、ユニークな性教育は行われている。共通していえることは、パンツや性器といった単語をいやらしいものとして扱わず、オープンに学ぶこと、自分の意思表示を行うことの大切さをまずは「NO」と言っていいんだよということから伝えることである。日本では根強い「性について話すのは下品なこと」という考え方は、60年前のオランダでもあった。しかし、そのように性をタブー視するために起きてくる問題に、60年前のオランダの若者は気づいたという。女性差別、LGBT差別、児童に対する性犯罪について、人々が議論し、差別や犯罪をなくす工夫をしたり縫製を整えたりするプロセスが滞ることが問題であると。全人教育、市民性教育としてのオランダで義務化された性教育は、子どもたちが健全でトータルな人間になることをめざすものなのである。

4. おわりに

 考察を通して、命を大切にする教育で重要な点は二点上げることができる。

第一に、当事者意識を持つこと。オランダの性教育は、わざわざ性教育という枠組みがある中ではなく、家庭の中からも自然に、家族における役割や、兄弟や両親と自分の違いを見出すことから自分とはどんなアイデンティティーを持つのかというスタートを持つ。「自分が」どうしたいのか、「自分を」守るための手段としての性教育として、当事者意識を持ちながら、「自分の」命を大切にし、ひいては恋人や未来の子供、周囲の「命」を大切にすることにつながっているのである。

第二に、性教育の概念を変えることである。日本では「性」という言葉自体に、良いイメージを抱かないことが多いかもしれない。オランダの性教育からわかることは、性教育は、人間の尊厳について学ぶことである。道徳教育の中で「命を大切にする教育」として、オランダの性教育を取り入れることは、主として自分自身に関すること、人との関わりに関すること、集団や社会との関わりに関すること、そして生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること といったすべての主題を網羅したテーマになりうる。また、同時に問題視されている、生徒の自己肯定感の向上やいじめ解決、性犯罪や望まない妊娠などの問題の解決にもつながるといえる。

5. 参考文献

斉藤寛子、山田佳奈『性教育授業を都議が問題視、都教委指導へ 区教委は反論』、2018年3月23日21時00分付「朝日新聞」デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL3Q74RPL3QUTIL08G.html

斎藤益子、『わが国の性教育の現状と課題』、2018年、日本性教育協会、現代性教育研究ジャーナル No.87

リヒテルズ直子『0歳からはじまるオランダの性教育』、日本評論社、2018年

『自殺したLGBTの友人も…杉田氏発言に当事者から批判』、2018年7月23日20時37分付「朝日新聞」デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL7R6Q7FL7RUTFK01N.html

『性教育、海外の事情は 日本は「井の中のかわず』、2018年10月22日09時30分付「朝日新聞」デジタル https://www.asahi.com/articles/ASLBJ5WVJLBJUTFL00X.html

『知的障がい児のための「こころとからだの学習」』編集委員会『知的障がい児のための「こころとからだの学習」』、明石書店、2006年

WHO (2016)Growing up unequal: gender and socioeconomic differences in young people’s health and well-being. p. 180.

※こちらは学生時代に買いたレポートをリメイクしたものでした。表などは載せられず、話が繋がらないところはご容赦ください。気になる方はリンク先見てみてください。

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