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ルームシューズが汚れていた。

約一年半前に一人暮らしを始めたとき、お気に入りのブランドで買ったルームシューズを愛用している。本体はグレーで、甲に大きな白いリボンが着いている。
同じようなデザインのものを探そうと思えば、もしかしたら見つかるかもしれないのだけれど、『あのかわいいお気に入りのブランドで買った』という事実そのものが相まって、より一層愛おしく感じられる。わたしが何か物を手にするとき、そうやって物を愛せる理由がひとつでも多い方を選ぶ。

朝起きてベッドから出た瞬間から夜眠る前にベッドに潜り込む瞬間まで、わたしは基本的にずっとそのルームシューズを履いている。出かける時は玄関で脱いで靴を履き替え、帰ってきたら靴を脱いでまたそのルームシューズを履く。お風呂に入る前も、お風呂から上がった後も同様に、だ。

そんなにもずっと愛用しているのに、白いリボンの部分がこんなに黒くなるまで気が付かなかったなんて。


2月末に風邪をひいて熱を出し、そこから1週間半ほどライブを休んだ。

大丈夫?、お大事にしてね、ゆっくり休んでね、無理しないでね、きっと忙しかったから疲れちゃったんだね、待ってるよ。いままでに体調を崩したときよりも長く休んでしまったこともあり、わたしの心身を気遣う優しい言葉をたくさんもらった。

そんな優しいメッセージたちのなかに「アウトプットしすぎて、弾切れのようになってしまったのかもしれないね」というような言葉があった。
引っかかっていたものが、すとんと落ちたような感覚になった。

2月にZeppワンマンを2公演やらせていただいた。大きいステージを走り回って歌って踊って、それはそれは楽しい時間で、ステージから見えるたくさんの笑顔や聞こえる歓声がたまらなく幸せだった。

ただ、公演当日が近付けば近付くほど、わたしはインプットができなくなっていっていた。
大好きな曲は冒頭1分で聴くのが嫌になり、イヤホンはただ耳を塞ぐためだけの道具になり、大好きなアーティストのライブDVDも引き出しから出すことはなく、本は読みかけのまま本棚の前に積み重なっていた。
そしてそれと比例するように、アウトプットもできなくなっていった。
もともとの口下手に加え、友人といても会話の返答がうまく思いつかず、行きたいところややりたいことも思い付かず、毎月書いていたnoteの文章も、時折書いていたSNSの文章も、一文たりとも思い付かなくなり、SNSは毎日告知やライブのお礼や何のキャプションもない自撮りばかりになり、業務的な面白くないものになった。
それを、『必死に頑張っている証拠だ』とは思えなかった。音楽が聴けないことも、文章が書けないことも、何もかも情けなくて仕方なかった。
でも何かしなくてはと無理矢理SNSを開き、また何もできずに自己嫌悪に陥る悪循環。わたしに才能がないせいだ、才能がない上に努力もできないせいだ、それだけだ。そう思っていたけれど、どうやら原因はそれだけではなかったみたいだ。

ひとの中身は、枯渇するものなのだと、初めて知った。


体調を崩し、ほとんど家から出ない生活を1週間半。
食事をとり、薬を飲み、水分をとり、睡眠をとり、毎日少しずつ治っていく体を実感する。熱が下がってからは洗濯をして、料理をして、掃除をして、日常の送り方を取り戻す。読みかけの本を読んでその世界に入り込み、好きなアーティストの新曲のMVで泣き、錆びた脳や心ににオイルをさすような感覚になる。潤滑するようになった脳が働いて、観葉植物の葉の色の変化とか、家具にうっすら積もった埃とか、汚れたルームシューズとか、そういうものに気が付く。そしてそれを文章を起こしたくなる。

わたしは時に、余裕がないことを正義だと感じてしまう。
逆に、余裕があると頑張れていないじゃないかと自分を責め立てたくなる。
でも、わたしはあまりにも余裕がなさすぎると、インプットを忘れ、それによりアウトプットもできなくなり、でも何かしなくてはと焦り、お気に入りのものも、大事なものも、好きなものも、何が何だか分からなくなってしまうらしい。それは寂しくて情けなくて辛くて、そしてまたそんな自分が嫌になってまた、ほんの少し残っていたかもしれない余裕さえもがなくなってしまう。
『余裕がないこと』と、『充実していること』を踏み違えてはいけない。
充実させたい。自分のことも、他人のことも。大好きな人たちや音楽たちや言葉たちに囲まれて大好きなお仕事をしているのだから、大変さも愛せるような心を持ちたいし、そんな心を持てるような工夫をしたい。無理をしないとか、余裕を持つとか、そこまでじゃなくたっていい。身や心を滅ぼしてしまうような、錆びてしまうようなことをしては、元も子もない。


音楽も、言葉も、お気に入りのルームシューズも、なくても生きていけてはしまうもので成り立っている人生だけれど、わたしはその生き方をたぶん、かなり気に入っている。でもやっぱり時に不安になってしまう。それでもまたここに戻って来れるように、インプットもアウトプットも続けてわたしの中身が枯渇して錆びてしないようにしたい。


手にするものと同じように、自分自身を愛せる理由を、自分自身で増やしていけますように。
真っ白くなったリボンのルームシューズを想像しながら。

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