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死ぬ事ばかり考えてしまうのはきっと生きる事に真面目すぎるから

わたしは、わたしの過去を切り取るアルバムを持っていない。亡くなった父の写真も母の写真も持っていない。

幼稚園の卒業アルバムも、小学校、中学校、高校時代のアルバムも無い。


母が介護施設に送られて、実妹が実家を整理するときに、全部棄てられてしまった。


わたしは覚えている。わたしが2歳くらいの頃、着物を着せられて、まだ若くて素敵だった頃の父と、自分で縫い上げたスーツに、パールのネックレスをつけた母に抱かれて、写真館で撮った写真があった事を。


その写真は、わたしの人生最高に誰かに愛されていた、という証拠写真だった。


3歳の頃に撮った七五三の写真も覚えている。写真館で千歳飴を貰い、何度もシャッターを押されて、疲れて不貞腐れ気味に唇をへの字にした写真。


その頃はもう、妹が生まれていた筈だ。


妹が生まれたのは、わたしが2歳半の夏、旧盆が終わった翌日のことだった。


妹が生まれる前、母が産院に入院した。

わたしは、父と二人きりだった。


父は、幼いわたしを置いて仕事に出かけていた。わたしは、誰に面倒を見てもらっていたのだろう?

おそらく、伯父のお嫁さんである伯母とか、祖母がご飯を食べさせてくれていたのだろうと思うのだけれど、その記憶は全く無い。


覚えているのは、父が夕方帰ったと思ったら、わたしを自転車に乗せて、ちょうどジブリ映画の、『となりのトトロ』のお父さんが、さつきとメイを自転車に乗せていたように、自転車に座布団を巻き付けてわたしを乗せて、夜の町を走っていたことだけ。


父は、店じまいをしている個人経営のおもちゃ屋さんで、わたしに、プラスチックの大きな抱き人形を買い与えてくれた。


金髪で、頭をポニーテールに結って、緑色の光る素材に化繊の白いレースを縫い込んだワンピースを着ている、大きな抱き人形で、瞼が閉じたり開いたりする。

その人形を与えた父の気持ちはどんなものだったのだろう?


きっと、わたしをひとりにしておいて、寂しいだろうという気持ちと、わたしを愛おしんでくれる気持ちがない混ぜになった、父としての最大の愛情だったのだと思う。


その人形を高く持ち上げて、縁側の陽だまりで笑うわたしの写真。

髪を短く刈り上げられて、男の子のようにズボンを履いて、茶色のセーターを着せられていた、3歳のわたし。

3歳神話という概念がふと頭の隅を過ぎる。


子供は3歳まで手元置いて、愛情をかけて育てる、とかいうあの神話。

妹には、わたしのような父と母を独り占めした写真は無い。


幼い頃はよく、お姉ちゃんばかりズルい。と喧嘩を売られていた。

わたしは、妹の出生で、両親の愛を奪われていた、と思っていたのに。


3歳神話、それは確かにわたしにとっての神話だった。


わたしは、妹が生まれるまで、こんなに両親の愛を独り占めしていたのだ。


そして、気づいた。


わたしは生まれて2年と半年間、一生分の愛を両親からもらっていたのだ、と。


アルバムは、過去の残像に過ぎない。

しかし、思い出は、わたしの記憶の中で、年数を重ねる度に美しさを重ねて行く。

過去の事実に意味があるのでは無い。

過去は思い出になるから、意味があるのだ。真珠貝が、核を植え付けられた痛みの上に、何層ものオーラのような膜を重ねるのと同じように。


わたしは、パールの優しい輝きが好きだ。

わたしは真珠貝になろう。

心の痛みを核としてその痛みを抱き抱え思い出のオーラの光の膜を重ねて、光輝いていたい。



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