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河合隼雄『あなたが子どもだったころ〜こころの原風景』

大人は昔の自分を忘れてしまう生き物さ
(沖田浩之『E気持ち』より)

ロングセラーとなっている『子どもの宇宙』に代表されるように、河合隼雄にとって〈子ども〉は重要なテーマの一つでした。河合が〈子ども〉を語るときは、児童文学やファンタジーの解説を通すことが多いのですが、本書は各界を代表する10人との対談集になっているのが特徴です。

どのような内容なのかは、各対談につけられたタイトルを紹介するのが手っ取り早いので、以下にあげていきましょう。

鶴見俊輔さんと…子どもが死にたいと思うとき
田辺聖子さんと…子どもが嘘をつくとき
谷川俊太郎さんと…子どもが学校へ行きたくないとき
武満徹さんと…子どもが親から離れて暮らすとき
竹宮惠子さんと…子どもが自分の世界に閉じこもるとき
井上ひさしさんと…子どもが思想に目覚めるとき
司修さんと…子どもが母親を思うとき
日高敏隆さんと…子どもが個性をのばすとき
庄野英二さんと…子どもが兄弟を意識するとき
大庭みな子さんと…子どもが孤独を生きるとき

どの対談も読み応え充分なのですが、全体的な特長として「健全」な学校教育を過ごした人が少ないというのがまずあげられます。河合自身が文庫版のまえがきで述べているように『不登校、虚言、盗み、家出、自殺、反抗、孤独、数学の劣等生…何でもとりそろえています、といいたいくらい』なのです。

こうした子ども時代をいかに彼らは生き抜いてきたのか。例えば鶴見俊輔。彼の特異な幼少期については自伝『期待と回想』にもある程度書かれていますが、彼の場合は息子を理想どおりに育てようとする母親との闘いがありました。闘いといっても、幼い鶴見が正面から対峙することはできません。彼は〈自殺〉という形で抵抗したのです。

 鶴見「動機はというと、今から思うと単純なんです。おふくろに対して、はっきりオープンに世の中で復讐したかったんです。自罰的なんですね。おれは悪い人間だから死ぬ。悪い人間としてしか、おれは生きられないんだ。それですね」。
しかしその心の底には一縷の生きる望みが入っていることを河合は的確に見てとっています。そしてこの凄まじい話の中に「ある種のさわやかさ」を感じでいるのです。この河合の考察がすごい。
『どんな凄まじい闘いであれ、そこに全存在が懸かっているときは、さわやかさがある。そして不思議なことに、そこからは建設的なことが生じてくるのである。
鶴見親子の闘いに、現在の家庭内暴力を重ね合わせて考える人は多いだろう。しかし、現在の家庭内暴力は全存在を懸けた闘いにならぬことが多いので、かえってそこで命を落とす人が出てきたりしてしまうのである。』果たして自分は親として子どもに〈全存在〉をかけて向き合っているだろうか…と省みずにはいられない文章です。

自殺まで考えるほど追い詰められたところを救われた例としては、日高敏隆の話が印象深いです。
体が弱かった日高少年が入学した小学校は、身体を鍛えることを極端に重んじていました。そのため運動が苦手だった日高少年は、クラスメイトのみならず先生にもばかにされてしまいます。父親まで体操の先生に、「しっかりしなきゃだめだからみんなの前でばかにしてほしいと」頼んだので、逃げ場を失ってしまいました。日高は当時から昆虫に興味を持っていたのですが、そんなのか一体何の役に立つのか、と父親に否定されて、真剣に自殺を考えるに至りました。ここからは日高自身の言葉を引用します。

日高『そんなときにね、担任の先生がふらっと家に来て、親とぼくが座っている前に向かい合って座り、いきなり「敏隆、お前は自殺することをいいと思うかって…』
『それで、ぼくは思わず「悪いと思います」といっちゃったんです。そしたら、その先生がものすごく声を荒げて、「お前は自分が悪いと思っていることを何でやろうとするんだ!」って怒鳴ったわけです。もうひとたまりもなかったですね。』
『その後で先生は親に向かって、「お父さん、お母さん、突然にとんでもないことを言い出して申し訳ございません。ただ、教師ってのは親御さんよりも、子どもの考えていることがわかることがあるんです。今、敏隆君は自殺することを真剣に考えています。だから、お父さん、お願いがある。敏隆君に昆虫学をやらせてください」って言うんです。

これにはさすがの父親も「はい、やらせます」と答えざるを得ませんでした。さらに先生は日高少年と2人きりになり、昆虫学をやるためには今からきちんとさまざまな科目を勉強する必要があることを説き、「それなら、今の学校はお前に合わない。すぐに転校しなさい」と言い、日高にあう校風の学校に転校させたのです。この転校を進めた、というところが唸るしかありませんね。魂の導き手とはまさにこの先生のことをいうのではないでしょうか。

他にも紹介したい逸話はたくさんあるのですが、ぜひ興味がある方は本書を手に取ってください。子どもが育つということはどういうことなのかを考えさせられる好著です。

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