見出し画像

不安な日々を癒してくれるのは、自分自身に対する思いやりである。

【この記事は1分で読めます】

チンパンジーと人間の最大の違い。それは「思いやり」を示す行動の有無だと言われている。もちろん、思いやりを示せるのは人間の方である。

今日の読売新聞に興味深い記事があったのでシェアしたいと思う。アメリカ・ワシントン大学で生後1年7ヶ月の幼児約100人を対象に行われた実験についてのレポートである。

大人が果物をつかもうとお盆に手を伸ばし、取れずに困っている動作を幼児に見せると、58%の幼児が大人に果物を渡した。空腹時と思われる時間帯の実験でも38%が手渡した。特に兄や姉を持つ幼児に多い傾向がみられたという。(読売新聞朝刊・2020年4月12日付け24頁)

言葉を覚える前の成長段階でも、人が思いやりを示せるというのが面白いところで、これは非言語コミュニケーションをベースにしている気功とも相通じる部分がある。つまり、人には先天的に「気を配る」という能力が備わっていることを意味しているではないだろうか。

昔の人は「気を配る」という言葉の他に、「気を養う」という表現も生み出した。実際に、気功の世界では気は遣った分、補充しないと人は死んでしまうと考えられている。だから、気功師やヒーラーは日頃から大周天というワークでエネルギーを体内に蓄えることを習慣として行っている。

気功師やヒーラーでない人でも、気の流れを体内にイメージするだけで不安を取り除いたり、体の不調を癒すことが可能になる。そしてもうひとつ、不安や不調を軽減できるとっておきの方法を紹介したいと思う。

それは、自分の体と対話をすることである。例えば、心臓は心の臓器と書くように、心の動きと常に連動している場所である。腰は体の「要」であり、特に大腰筋は神社の鳥居のような形をした人体の総司令部でもあるのだ。

そんな各部署をねぎらうのが、あなたの役目であり、それを怠ることで人は体の暴走に気付かず、そして心の修復が必要なタイミングを見逃してしまうのである。

社会に対する不満がある人ほど、代弁者の登場を期待する。そして、誰かが不満をぶちまけたとき、必ずこう誉め称えるのである。「よくぞ言ってくれた」と。

けど、自分で感じた不満や不安、それらを表現するのは自分自身であり、もしそれを怠ったとき、心はそんなズルさを見逃さない。

体は心の代弁者。体の微細な変化に触れたとき、人は初めて心によって守られていることに気付くのである。あなたを陰ながら応援してくれている心という偉大な存在。大事なのは、休息とかメンテナンスよりも感謝だとわたしは思うよ。

Live your life !

応援お願い致します。