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私と合唱

京都産業大学グリークラブ演奏会のお知らせ。

 趣味で合唱をしている。合唱は集団でいなければ成り立たない芸術だ。単独の声楽では成しえないものであり、「合唱してるって?何か歌ってよ!」ができない分野でもある。
 そして私の合唱とのかかわりのスタートはいつも外圧というか、拉致から始まっている。


 私と合唱の出会いは中学生のころにさかのぼる。忘れもしない、中学2年生だ。多感なあの頃、ちょっとかっこつけようと音楽のテストで当時はよくわかっていなかったが、なんちゃってベルカント唱法で歌を歌ったところ、合唱部の顧問をしていた音楽教師に拉致され、合唱部に入団したのだ。
 それまで音楽なんぞ大嫌いだった。小学校高学年で早熟なために早々と声変りをしたことで浮いてしまい、音楽の授業についていきにくくなった。また、生来の不器用っぷりからリコーダーもへたくそだった。
 それが何の因果か合唱部に入った。いやなら逃げてもよかったのだが、当時好きだった女の子が合唱部だったのだ。
 よく一緒に帰り、同じ塾でもあって、よく一緒に勉強をしてとしていた記憶がよみがえる。結果、私が高校進学の際に地元から逃亡したことから疎遠となり、最近、結婚したという噂が流れてきて月日は・・・と感慨深くなる。

 中学校の合唱部は所謂、強豪校であった。中高生があこがれる音楽界の甲子園として2つの大会がある。すなわち、NHK合唱音楽コンクールと全日本合唱音楽コンクールである。
 私の所属していた中学校合唱部は両大会とも県大会は常に金賞。金賞の中で連盟理事長賞、教育長賞などの賞を争い、目標はブロック大会を突破し全国大会!であった。
 当時、部員は約60名と記憶している。男子は全員、兼部。野球部、サッカー部、剣道部、テニス部・・・と運動部のしかも、爽やかスポーツ少年というよりも茶髪だったりといったやつらばかり。かくいう私も本部は文芸部であった。この文芸部は決して文芸をしていなかったが。
 そこそこ、当時は中学生の思春期特有の何かで頑張っていた記憶がある。結局のところ、全国大会には進めなかったのだが。

 そこから若干の空白期間が出てくる。高校だ。私の通った高校は女子高から共学に転換した高校であったが、世間は「そこは女子高だ」という認識が非常に強く、学年70名中男子は10人。よく駅周辺で警察官に「その制服どこの学校だね?」と声を掛けられていた。そんなわけで、ここで歌をしていても浮くだけであり、小学校の悪夢が思い出される。そんなわけで、高校時代は音楽から離れていた。聴くのは大好きだったのだが。

 そして転機が訪れる。山口県の片田舎から京都市の大都会の隅っこにある結局片田舎のような場所にある京都産業大学。ここに進学し、オリエンテーションの狭間でベンチでボーっとしていたところに緑色の上着を着た集団に取り囲まれまたしても拉致された。
 「京都産業大学グリークラブ」
 かつては強豪中の強豪校。大学男声合唱界の雄、東西4大学のような歴史はないが、「山猿」といわれ9年連続全日本合唱音楽コンクール金賞1位、合計14回の全国大会金賞獲得を誇って「いた」。
 私が拉致されたときはコンクールに出るのも大変な状態で楽しく歌うか、でも体育会方式でやっていこうな!という団体。
 私としては逃げ出したくて仕方なかったのだが、同じ下宿の下の階に先輩が住んでおり逃げられず入団した。
 中学校に引き続き、拉致され、非常に消極的入団であった。
 結果として、留年2年をはさみ、計6年間、ここで歌い倒し、やっとこさ卒業した後もOB会合唱団の所属し、ちまちま赴任先の岡山県から京都市まで練習に通うほどのめりこんでいる。

 なぜ歌い続けているのか。
 結局のところ歌が好きだったのだろう。中学時代の思い出、大学の思い出もあるが、大学の男声合唱団という経験が私の原動となっている。
 単純に合唱が好きなら混声合唱でもよかったが、私は男声合唱が好きになってしまったのだ。
 約2オクターブの中の芸術。合唱は4パートに分かれて歌う。中学校までな女声の高音域からソプラノ、アルト、男声の3部合唱。男子の声が安定しだすあたりでソプラノ、アルト、テノール、バスと4部合唱になっていく。
 男声合唱はこのテノールとバスをさらに2つずつに分けて4部合唱とする。すなわち、トップテノール、セカンドテノール、バリトン、バス。私は中学生のころはバスにいた。大学に入って1年目もバスにいた。2年目からセカンドテノール、3年目からトップテノールと「2度目の声変り」を果たしている。
 男声合唱のトップテノールはよく目立つ。多くのステージを通じて、この「目立ち」に魅入られてしまった。

 コロナ禍以降、合唱など音楽は非常に肩身の狭い思いをしている。京都産業大学グリークラブも勧誘ができなくなり、4年生4名、最近入団した3年生1名の状態だ。密集隊形で飛沫をガンガン飛ばすイメージができてしまっているのだろうか。
 だが、この数年でコロナとの共存を図るがためにマスクを着けて、多少離れて歌う方法も確立した。

 合唱は己の体ひとつで誰でも「非日常」を体験できる芸術だ。楽器のようなステップもない。声が出せるならば誰でも体験でき、集団でおこなうものだからこそコミュニケーションも重要視されつつ、一匹狼でもやっているものでもある。
 かくいう私も集団競技は大嫌い、スポーツは長距離走が好きなタイプだった。
 今週末、4月24日に京都産業大学グリークラブは再起を図り5名で演奏会を開催するそうだ。5名では心もとないので、1ステージだけOB会合唱団から有志が賛助出演する。
 運悪くこのページを最後まで見てしまった方はご来場いただきたい。そして大学生諸君はぜひ、合唱団という部活・サークルを選択肢に入れてほしいものである。

「京都産業大学グリークラブ 第52回定期演奏会」
会場;
京都産業大学神山ホール
日時;
令和4年4月24日(日)
13時開場
14時開演
入場料;
無料
各ステージ;
第1ステージ
多田武彦作曲 「人間の歌」より
第2ステージ
ポピュラーソングステージ
第3ステージ
OB合同ステージ

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