河原田 稼吉



生没年月日

1886年(明治19年)1月13日 ー 1955年(昭和30年)1月22日

出身地

東京府東京市

学歴

第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学政治学科

年表

1886年(明治19年)1月13日


かつて鶴田藩士を務めた奥村家に生まれる。
後に、農学者の河原田家の養子となる。

旧制第一高等学校で学ぶ。
 
1909年(明治42年)7月
東京帝国大学法科大学政治学科 卒業
内務省 入省
 
1913年(大正2年)11月
内務省警保局警務課長
 
1915年(大正4年)7月
熊本県警察部長
 
1917年(大正6年)8月
内務省警保局保安課長
その後、長崎県警察部長。
 
1920年(大正9年)12月
内務省警保局警務課長 兼 内務省警保局外事課長
 
1922年(大正11年)11月
内務省社会局第1部長
 
1924年(大正13年)
第6回国際労働会議日本国政府全権代表委員
 
1926年(大正15年)4月
内務省社会局労働部長
 
1928年(昭和3年)6月
台湾総督府総務長官 (~1928年8月)
 
1928年(昭和3年)7月
台湾総督府交通局総長事務取扱 兼任 
 
1931年(昭和6年)12月
内務次官
 
1935年(昭和10年)10月
協調会常務理事

1937年(昭和12年)2月


林銑十郎内閣・内務大臣 (~1937年6月)

1938年(昭和13年)1月


貴族院勅選議員 (~1946年5月)
貴族院院内会派研究会所属。

 
1938年(昭和13年)7月
産業報国連盟理事長

1939年(昭和14年)8月


阿部信行内閣・文部大臣 (~1940年1月)

 
1943年(昭和18年)4月
健康保険組合連合会会長

1943年(昭和18年)7月


第29代大阪府知事 (~1944年8月)

 
1946年(昭和21年)9月
連合国軍最高司令官総司令部により公職追放。
 
1951年(昭和26年)
公職追放解除。
以降、自由党総務委員、新党対策特別委員会副会長など歴任。

1952年(昭和27年)10月


第25回衆議院議員総選挙において福島2区から自由党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1955年1月)

1955年(昭和30年)1月22日


衆議院議員在職中のまま死去。

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