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【小説】アイツとボクとチョコレート【9話】

9話 信じればこそ


【Side:りん】

「行きましょうっ!! 今すぐに!」

 鼻息荒い新任教師を制止して、ボクはお気に入りの服の肩にくっきりと残る足跡を指さした。どう考えてもこっちが先でしょ。

「す、すみません! 思いきり踏んじゃいましたよね。痛くないですか?」
「そうじゃなくて、汚れてるから。先に替えを買わせてくれる?」
「!! 買うだなんて! お支払いは任せてください。
 全て私の責任ですから!」
「その言葉、忘れないでよ」

 ボクはまっすぐに目当ての店に連れて行き、自分では二の足を踏む金額のワンピースを所望する。比較的細身とはいえ骨格は男だから、サイズの合う可愛いブランドはそう多くない。しかもモールの中となると選択肢はかなり限られてくる。

「わぁ……すっごく似合ってます! 可愛いです!」

 元着ていた白いブラウスは、クリーニングに出すとかで半ば無理やり奪われてしまった。なんだか別の意図を感じなくもないけど、深追いするのも怖いのでやめておいた。

 それから無駄にあちこち寄り道をさせられ――あれが似合いそうだのこれを着てみてほしいだの――1時間ほど歩き回ってパンケーキ屋に戻った。

「えっ!? スペシャルパンケーキ売り切れ……?」
「申し訳ありません。前のお客様で本日の材料が切れてしまいまして……。
 パフェやドリンク等でしたらご注文いただけます」
「そ、そうですか……」

 余程パンケーキが食べたかったのだろう。顔を見なくても伝わるほどの落胆ぶりだ。

「今パンケーキ食べたら夕飯入らなくなるし、
 このくらいでちょうどいいんじゃない?」
「そう……ですよね。とりあえず入りましょうか」

 注文したのは、示し合わせたわけでもないのに、2人揃ってフルーツの盛り合わせ。経営元の老舗フルーツパーラーの名にふさわしく、旬の物を中心に色とりどりの高級フルーツが見た目よく盛り付けられた、ボリュームも申し分ない一品だ。

「ん~~! やっぱりフルーツはそのまま食べるに限りますね!」

 ついさっきまでの絶望感はどこへやら、すっかりデレデレと目尻を下げている。

(生徒の前でなんて顔してるんだ、この人……)
「……あんたってさ、どうして生徒に敬語使うわけ?」
「誤解ですよ。私が敬語を使うのはベルさ――鈴野べるのさんだけですから」

 また『ベル様』だ。様付けで呼ばれる覚えはないんだけど。それともボクが知らない間にネットで写真が出回って、有名にでもなっているのだろうか? ――あの日からずっと気にかかっていたことを訪ねようとして、やめにする。今となってはそれよりももっと、コイツに聞かなければならないことがあるからだ。

「……あのさ。さっきの男の子の風船を掴んだ時のあの『翼』、あれ何?」

 金髪教師の目と口が、マスカットのように真ん丸に開く。フォークで口元に運んでいた梨が、ポロリと皿の上に落ちた。

「あ、あれが見えたんですかっ!?」

 勢いよく立ち上がって椅子が倒れそうになる。当然ながら、周囲の目がこちらに集まった。

「静かにしなよ――って、
 どうして生徒のボクが言わなきゃいけないわけ?」
「すみません……」

 周りにちょこちょこと頭を下げながら、椅子におさまる。すらりとした長身の大人が、すっかり小さくなっている。
 謝るのはいいから質問に答えてくれとため息交じりに言うと、教師は一転、周囲を気にしながら、小さく手招きをした。耳を貸せということらしい。仕方ないから、言う通りにしてしばらく待つ。
 そしてようやく耳に届いた言葉は。

「私……実は、ドラゴンなんです」

 ドラゴン。空想上の巨大な生き物。マンガやゲームの世界の住人。火をいたり、進化したり。そんなことが即座に頭に浮かぶ。
 それからもうひとつ。

(――コウモリのような翼で、空を飛ぶ)

 ボクはモールに来る直前に見た、姉さんのスケッチブックを思い出さずにはいられなかった。そこに描かれていたのは、パンクな雰囲気を漂わせる、コウモリの羽根付きリュック。そもそもボクはその材料を買い集めるために、このモールに来たのだった。
 二度目の大きなため息をついて、ソファー席の背に身を預ける。

「……で、そのドラゴンさんがボクに何の用なの」
「信じてもらえるんですか!?」
「信じるかどうかは置いといて、話は聞くよ。
 このままじゃ気持ち悪いから」
「気持ち……悪い……」

 喜んだり落ち込んだり、忙しい人――もとい、ドラゴンだ。

「飲み物、追加で頼むけどいいよね?」
「そ、そうですね! 話が長くなりそうですし」

 さっきと同じのでいいかと聞く自称ドラゴンに、あたたかいのがいいと答える。この席はエアコンがよく当たるせいか、少し肌寒い。

「実は……ですね」

 新しい飲み物が運ばれてくると、教師は少し緊張した面持ちで話し始めた。モタモタとして横道に逸れがちだったけれど、言っていることをシンプルにまとめれば、こうなるだろう。

・教師はドラゴンとして、1000年と少し前にこの地球上で生まれた。
・殺されそうになったところを、ベルトルト――こいつが『ベル様』――という人間に助けられた。
・その後、天界――多分、天国みたいなところだ――に強制送還されたため、ベルトルトに恩返しできなかった。
・1000年経って大人のドラゴンになったので、下界に戻ることを許された。ただし人間の姿を取ることが条件である。
・せめてベル様のご子孫に恩を返したい! というかねてからの願いを果たすため、ボクの元にやってきた。

 あまりにファンタジックで、情報量が多い。もしこれが物語なら噛み砕けるかもしれないが、実際自分の身に降りかかるとなると話が違う。

(あんなの見ちゃったからには、『ドラゴンです』ってとこまでは
 百歩譲って信じざるを得ないけど……)

 ドラゴン教師はあからさまにボクの返答を待っている。だからといって適当な返事をすれば取り返しのつかないことになるのは、火を見るよりも明らかだ。ボクは頭を整理しようと、もう湯気も立たなくなったカップを持ち上げた。

「……痛っ!」

 手首に思わぬ痛みが走り、カップを取り落としそうになる。

「大丈夫ですか!?」
「……平気。持ち方が悪かったんだと思う」
「もしかしたら、さっき私を助けてくれた時に痛めたのかもしれません!」

 教師はボクの手を掴んで自分の方に引く。普段はモジモジしてるくせに、なんでこういう時だけ行動力があるんだよ。というか、やっぱ手首痛い。

「失礼します、ベル様」

 そう言ってボクの手首を自分の口元に寄せ――薄くて艶のある唇を、素肌の上にそっと落とした。

「なっ、何し――」
「……これで治ったはずです!」

 無邪気なほどにっこりと微笑んで、ボクの手首を開放する。

「手首、振ってみてください。痛くないはずですよ」

 ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。今ボクの頭の中はぐちゃぐちゃで、そんなことできるほど冷静じゃない。
 冷静じゃないボクは、おしぼりを掴んで、キスされた手首をゴシゴシとぬぐった。目の前の生き物はなんだか慌てているようだが、気にする余裕なんてない。
 けれど改めて冷めた紅茶を持ち上げると、手首の痛みは嘘のように消えていた。

「……ドラゴンって、そういうふうにケガを直すわけ?」
「人間の姿だと、こうするのが一番効率がいいみたいです。
 あ、でもドラゴンによって得意分野が違うので、
 私がこうっていうだけで」
「じゃあ、アンタの得意分野はこれなんだ」

 確かにそれなら、保健室の先生になろうと思ったことも理解できる――グチャグチャすぎる頭の中で、論理的思考を必死に取り戻そうとした結果、出力されたのがこの平凡極まりない感想だった。
 あまりに当然すぎて、口に出すのもはばかられると思っていた、そんな時だった。ボクを凍り付かせる言葉が、目の前の生き物から飛び出したのは。

「命の灯さえ消えていなければ、ケガでも病でも治せるんですよ」

 ――ケガでも、病気でも。
 ――死んでさえいなければ。

 立ち直りかけていた頭を見えない手で掴んで、揺さぶられる。
 ぐらぐらと視界が揺れた。

――そうだ、世界はボクに優しくない。忘れかけていたけれど。

 ボクは紅茶をテーブルの上に戻し、ワンピースの胸元をぐっと掴んだ。そうしないと、自分の中の何かが暴れ出しそうだったからだ。

「……鈴野べるのさん? 大丈夫ですか?」
「何でも……ない」
「でも、顔色が悪いです! 私、変なこと言いましたか?」
「ないって、言ってる……」

 荒い息を無理に整え、一息にまくしたてる。

「急に色々話を聞きすぎて、キャパ越えしただけだから」

 ボクは逃げるようにして、席を立った。
 
**
 
 モールの外に出ると、外はすっかり日が落ちていた。かなり早足で歩いたつもりなのに、精算を済ませたアイツがもう追いついてくる。

鈴野べるのさん! もう暗いですから、送っていきます」
「どうやって? ドラゴンの背にでも乗せてくれる?」
「そ、それはできないんですけど……姿を変えると大変なことになるので」
「…………そう」
 
 自分でも驚くほど冷たい声が出た。暗くてもわかるほど、アイツは肩を震わせる。

「今日の話……やっぱり信じてくれませんか?」

 イライラする。ドラゴンだとか子孫だとか、本当だとか嘘だとか、そんなことどうでもよくなるくらいに。問われること自体に苛立って仕方ない。それでも何か答えろというのなら、今のボクに言えることは、ただひとつだ。

「恩返しなんて、いらないから」
「……!!」
 
 息を呑む音が聞こえる。
 それでもボクは振り向くことなく、駅へと駆けた。

>>10話につづく


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