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これからもきっと死ぬまで、答えが出ずに悩み続けるんだろうけど、

三週間ほど続いた「闇から抜け出せないイベント」が終わった気がします。(二度と参加したくないイベントだわ)

昔から、「最近調子がいいな」と気付き始めた直後に、決まってこのイベントがやってきます。

エベレストの山頂から、タイタニック号が沈んでいる水深3800mまで落とされるような感覚。

このサイクルのおかげで、心療内科では「双極性障害」とカルテに書かれていましたが、今の私は「ただそう、なだけ」という認識でいます。
表現が難しいのですが、「ただ元気な時もあれば、落ち込む時もあるだけ」っていう感じです。

世の中にはうつ病、アルコール依存症、睡眠障害、摂食障害など、たくさんの精神病がありますが、そのほとんどは ただ単に機能不全家庭に育った「生きづらい人」たちの生きづらさの表現の違いなんだということを理解したので、今では病名は全く気にならなくなっています。


さて今日の話は、私の過去についてと、今の想いについてお話しします。

私は虐待のある家庭で育ちましたが、私自身は両親から身体的な暴力は受けていません。両親から身体的な暴力を受けていたのは、私以外の4人の姉たちです。私はそれを見せられる、もしくはその間は他の部屋に閉じ込められているかのどちらかでした。

だから私は自分が虐待を受けているとは思っていなかったし、【私だけ何もされていない】というキーワードが、私の心の中の痛みを感じないようにさせていました。

【私だけ何もされていない】から、私はずるい人間だ
【私だけ何もされていない】から、苦しいと思ってはいけない
【私だけ何もされていない】から、辛いと言ってはいけない
【私だけ何もされていない】から、両親以外の家族から何をされても仕方がない(私も、母や姉たちと同じだけの苦しみを受けなければいけない)

私の中にいつの間にか存在していたこれらの言葉たちが、心の中の苦しみを感じないようにさせていきました。

私は両親にとってすごく良い子だったので、もちろん両親には反抗しませんでしたし、両親の意見に従い、両親を励まし、両親の怒りが爆発しないように機嫌をとり、両親が笑うようにおどけてきました。

両親に反発する姉たちをみても(黙って従っていれば良いのに)と本気で思っていましたし、両親に私の怒りが出るなんてことは経験がありませんでした。

でも、そんな「良い子」である末っ子を許さない姉がいました。
ネガティブは、上から下に降りてくるというルールがあります。
強いものから、弱いものに降りてくるのです。

父から母へ。
母から娘へ。
娘からその妹へ。
そして兄弟の中でも一番立場も力も弱い、末っ子の私に一人の姉のネガティブが降りてきました。

「良い子」なあんただけ可愛がってもらえてズルい
「良い子」なあんたが存在するだけでムカつく
「良い子」なあんたが存在するせいで私は比べられて苦しい
「良い子」なあんたはこの世から消えてしまえばいい
だからあんたなんか今すぐ「死んでしまえ」

姉は私を殴って蹴っては、「あんたに死んでほしい」、「あんたに今すぐ消えてほしい」と、狂ったように叫んでいました。
「お願いだから、今すぐ死んで?」と懇願されたこともあります。

私は家の中が争いでぐちゃぐちゃになるのが怖くて両親の機嫌をとっていたけれど、私のその「良い子」である姿が、今度は姉の無価値感を強化させていたのです。

姉が自分の存在のせいで苦しんでいたのはわかっていたけど、姉の苦しみをどうしたら解放できるかなんて幼い私にはわかるはずもなく、私には姉からの暴力にひたすら耐えるしか生きていく術がありませんでした。
(私が良い子をやめたら姉の気持ちが紛れていたのかどうかは、わかりませんが)

暴力はすごく痛かったけど、
それよりも、姉からそうされることで感じる自分のネガティブの行き場がなかったり(私がネガティブを下ろせる相手はいなかった)
誰にも言えない苦しみを抱えたり(姉からの暴力を母に伝えると、また母から姉、姉から私へとさらに強い暴力が待ち構えていたので、姉からされていることは誰にも話していなかった)
姉をこれ以上傷つけたくないという気持ちが姉の暴力に抵抗できなくなっている
ことの方が、自分の心が壊れる理由になっている気がします。

「良い子」でいてもだめ。
「良い子」をやめてもだめ。
何をしても上手くいかない私は、自分を無くして誰かに従うことで生きるようになりました。

親にとっても、姉にとっても、誰にとっても「相手が望む人間」になって生きる。

これらは、心が壊れた後でもそんな風に生きているという自覚はなかったので、心が解放されて、初めて自分を客観的に見ることができるようになってから気付いたことです。
私は「自分」ではなく「自分以外のもの」を常に優先させて生きてきたようです。

数年前、これに気付いて自ら姉から離れることで、お互いがお互いを傷つけることはなくなりました。

私たち姉妹は、本当はお互いに思い合っています。
いつも幸せに生きていてほしいとお互いに願っているのもわかります。

でもだからといって、近くで言葉を交わして支え合うのは違う。
私たちには私たちの「距離」というものが存在しています。
ほとんど関わることなく、ただ遠くから存在を知っているだけの距離です。

母は私たち姉妹のことを何も知らないから、突然関わらなくなった私たちを「仲直り」させようとしていましたが、今ではあまり何も言ってこなくなりました。

でも映画「アナ雪」を観ると、いまだに泣きそうになります。
あの姉妹のようになれたらどれだけ幸せだろうか、と想像するけれど、私たち姉妹は、もうあんな姉妹にはなれないことがわかっているから涙が流れるのです。

姉は「私」が目の前に存在するだけで苦しくなる。
だったらもう私が離れるしかないし、私が姉に怯えながら姉と関わるのも違います。

「家族」とか「夫婦」とか「親子」とか「兄弟」とか、どうあるべき姿が普通なのか、私にはよくわからない。

どんな妻でいたらいいのか、どんな母でいたらいいのか、悩むこともたくさんあります。

どんな私だったら夫が、息子が、娘が、私を愛してくれるんだろうと「相手」を優先させる思考になる時も、まだよくあります。
(そういう思考になりがちだけど、実際には夫も子供達も、どんな私だったとしてもそばにいてくれます)

そして、これからもきっと死ぬまで答えがわからずに悩み続けるとも思っています。

でも少しづつ、どんな私であっても大丈夫だってことを心の底から思えるようになっていきたいという願いがあります。
そして、願いが続く限り、きっとその願いに近づいていけるはずと思っています。






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