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13歳の報われない思い

先週、父親と数ヶ月ぶりに再会した。
私が17歳になってすぐ両親は離婚して、それ以来 父は県外に住んでいる。
「そっち方面に用事があるついでに寄るから」とのことで、1時間ほど会ってきた。

その時 父の手土産の中に、知り合いの韓国人が作ってくれたという本場のキムチが入っていて、韓国が大好きな私だから喜んでいたんだけど、父がそれを見て一言。
「お前むかし、これの食べ過ぎで胃潰瘍になったよな!」
と笑いながら言った。


話は少し変わる。
私の記憶は、中学1年生の時がスポっと抜けている。
歴代の担任は、保育園の先生から全て覚えているというのに、なぜか中1の担任だけが思いだせず、クラス写真を見てやっと顔を思い出した。
でも名前は未だに思い出すことができない。
少し高い声と、生徒に深く関わらないようにしていた印象だけが残っている。

その中学1年生が終わろうとしていた3月に、私は胃潰瘍になった。
私を診てくれた町医者は、13歳で胃潰瘍というのが初めてだったみたいですごく驚いていた。
確かに子供に多い病気ではないのが今ならわかる。

胃カメラは喉を通すときに痛かったし、お腹の中は蛇が動いているみたいで気持ち悪かったけど、それでも胃潰瘍ができているとわかった時の私は、実はすごく、嬉しかったのです。


中学1年生の記憶はほとんどないけど、胃カメラをする頃の自分の状況は覚えている。

父と母の毎日の殺し合いの喧嘩に加え、高校生だった姉の精神状態がどんどん悪化していき、それまで以上に家の中はぐちゃぐちゃになっていた。

学校のクラスでは、女子グループからはみ出し者にされないように必死で周りに合わせようと無理をしていたし、部活(陸上競技)では先輩が怖い上に思うようにタイムが伸びなくて、私の中に元々あった「無価値感」がどんどん強化されていった。

こういう理由があって、胃潰瘍になった時の私の心はズッタズタのボロボロだった。
表面はいつもニコニコしているのが私だったけど、心の中は苦しみでいっぱいになっていた。

だから、胃潰瘍が私の心を形にしてみんなに示してくれたのだと思って嬉しかった。
やっと自分の苦しみを大人に理解してもらえるって嬉しかったのです。

その後のことはほとんど覚えてないけど、カレーライスもキムチも油物も、刺激の強いものは食べないようにという医者からの指示を守って、半年間 クッソまずい薬と大量の錠剤を飲み続けて治したのは覚えている。


で、ここで冒頭の話に戻るのだけれど、父の無神経な一言
「お前むかし、これの食べ過ぎで胃潰瘍になったよな!」
が、数日経った今も未だに頭から離れない。

あれから20年以上も経ってから、今更 気付かせてくれなくてもいいのに。
「あぁ、あの人は、そう思っていたんだな。」
「何も伝わっていなかったんだな。」って。

そりゃそうなんだけど。
あの人が、そういう人間なのはわかっていたんだけど。
「自分が愛されたい」ばかりで、我が子には興味がない人間なんだってことはわかっていたんだけど。

それでも子供は、親から少しでも自分の方を向いてもらえているかもしれないと期待してしまう生き物なのです。

今までも事あるごとに期待しては裏切られてきたけど、やっぱり今回もそうなんだなと、思い知らされた。

頭ではわかっているんだけど、心が追いつかない。
受け入れるまでに、少し時間がかかりそうです。

「このクソ野郎」って本人に言える私だったら、もっと楽に生きられてたかもしれないのにね。


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