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思い込みが、「そう」見せているだけ

息子が授業で先生の朗読を聴いていた時に、「朝を愛す」と言う言葉に「朝をアイス🍨?」と聞き直していました。

これを聞いて思ったのは、人は自分の好きなように解釈して生きているな、ということ。
言葉だけではなく、人は出来事も自分の好きなように解釈しています。

ただ、好きなように解釈している人もいるように感じるけど、実は「思い込み」を通して解釈しているのだと思います。

同じ一つの出来事だったとしても、それぞれがそれぞれの「思い込み」を通して解釈するから、結果的に「良い」出来事だと受け止める人もいるし、「最悪な」出来事として受け止める人もいる。

あらゆる方面からその出来事を俯瞰することができたらいいけど、小さい時から自分に染み付いている「思い込み」というものはなかなか手強く、その色眼鏡を通さずに解釈することは結構難しいことだと思います。

思い込みには「感情」がセットになっているから、例えば挨拶をした相手が挨拶を返してくれずに通り過ぎていった場合。
人によっては「無価値」を感じたり「不安」を感じたり「嫌悪」したり、「恥ずかしい」と感じたりとさまざまだと思います。

これらの感情(ネガティブ)はいずれも、良いとか悪いとかはなく、とにかく気分が良くないので、みんなあまり好んではいないと思います。(ジェットコースターやお化け屋敷の怖さは楽しんでる人がたくさんいるけどね)

良いとか悪いではないから当然感じても良い感情なんだけど、気分が悪くなるから出来る限りその感情を選びたくはない。

ということは、選ばなくても良いようにするには、自分の「思い込み+感情」という色眼鏡を、気分が良いと感じられるものに変えていくことが必要になってきます。

「挨拶を返されなかった私はあの人から嫌われているかもしれない+不安」
「挨拶を返さないなんて人としてあり得ない+嫌悪」
「無視されてしまって恥ずかしい+恥」
などなど。

これらの思い込みが出来上がるには必ずきっかけがあるので、そのきっかけに心当たりがあるのなら、「あの時はそうだったけど、今回はあれとは関係ないから大丈夫」とか、「あの時とは状況が違うから、たまたま相手に聞こえてなかっただけだろーな」って、出来事に対する自分のネガティブな思い込み(色眼鏡)を通さずに受け止めると楽になったりします。

ただし、きっかけが思い出せなかったり、自分に言い聞かすくらいでは思い込みが変えられない場合もあると思います。

きっかけが非常にショッキングな出来事だったり、抵抗することができなかった出来事、自分ではどうすることもできなかった出来事や、覚えていないけど気付いたらもうすでにその思い込みで生きていたなど、出来事の深刻さと心の傷の深さによっては、カウンセラーさん達の手を借りることも必要になってくる時もあります。

とにかく、出来事に対する感じ方や受け止め方というのは、全て自分の中にある「思い込み」が、そう見せている、ということを知っておくのは大切だと思うのです。

自分の知識や思い込みは、人生経験を通してしか得られません。
だから、人が持っている思い込みはみんな違います。

もちろん地域的、文化的、歴史的に出来上がる思い込みもあるので、お互いが似ているなぁと感じる思い込みもたくさんあると思います。

でも、自分の思い込みは他人にとっては正しいと受け入れられることばかりではないし、当然他人の思い込みが自分にとっても正しかったり気分が良いというわけでもありません。

自分にとって必要な思い込みとはどういうものなのか、を判断するための手がかりは、「自分の気分が良くなるもの」だけです。

どんな思い込みを持ちたいのかは自分で選択することができます。
親や先生、先輩や上司、誰が「これが正しい。こうあるべきだ。」といってきても、自分の気分が不快になるなら必ずしもその思い込みは自分のものにはしなくても良いのです。

自分がどうであれば、気分良く生活を送ることができるのか。
それを今一度考えてみるのもいいかもしれません。
そして、自分には必要ないと気付いた思い込みを手放してみるのも、やってみる価値が大いにあると感じています^^

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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