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『インターネット的』が、僕の好きなものを思い出させた

今日は、コルクラボ で読書会に出た。ここのところ週2日はラボメンと会っている気もする。じっくり話す時間で考えれば、息子とのコミュニケーション頻度と変わらないんじゃないか。少し罪悪感が出てきた。

コルクラボ では毎月課題本を1冊決めて、読書会を開いている。基本的にゲスト会で来る方に関連した本が多くて、サディと読書会担当の部活(コルクラボ では、特定の目的で継続活動をするチームを「部活」と呼ぶ)であるブッククラブが相談して決めている。どんな本を選んでいるかは、このノートを参考に。

「コミュニティを学ぶための本」伊東佑真(いひがし)
https://note.mu/yumaihi/n/n32b962143b32

『インターネット的』は、過去の課題本で2017年3月の本だった。僕が入る前で、記録を見返すと朝のビジネスマンが集まる読書会という雰囲気で行なわれていた。みんな敬語だし、スーツ(朝だから?)だし。
今日の会では、こんな感じ。

https://twitter.com/IkedaQtaro/status/1023929874241581058

とてもラフでくだけたメンバー達。夜だからってだけが理由じゃない。1年で何が変わったんだろう?

糸井さんの書く言葉は、とても明解で頭にすっと入って来る。最近、言葉に注意深くなったおかげで気がついた。磨き上げられ、簡単で、友達と話すときみたいに心地よく話が耳に入る。気になる言葉がいくつも出て来る。

「リンク、フラット、シェア」の3つの鍵、「WHOLE(まるごと)渡す」、「毛(もの)と銀」、「多様な人格の点滅」、「正直は最大の戦略」、「欲望の貧困」、「消費のクリエイティブ」、「なにが幸せなのかがわからないと、ハッピーは提示できない」、「小分けの時代」、「弱い力を集める」

そこに書いてあるのは、技術ではなくて、誰かわからないターゲットセグメントでもなくて、人の話。
最初に書かかれたのは、2001年。僕はITの会社で社会人2年目だった。そして十年後の回想で「インターネットで人が根本的に変わってしまうことは無い」と言う。
インターネットは「すごく便利な道具」でしかない。そう言って、送り手側は「小分け」の時代、受け手側は「弱い力」を集めはじめたと変化を説く。その話も2014年11月時点でしかない。もう4年近く前。

それでも僕には新しい。でもどこか懐かしい。そして、馴染みがある。

懐かしさを感じるのは、自分がインターネット的なものに初めて触れた時を思い出すから。それは、まだ学生だった時にPCの得意な同級生の手ほどきを受けて、ネット通信(当時はBBSと言っていた)をはじめ、オフ会に参加したときに見た新しい世界の感じだ。この話は、また書こう。

馴染みを感じるのは、今のコルクラボ がとてもインターネット的だから。タメ語が推奨されて、フラット。勝手にコルクラボ が立ち上がって、リンクしてる。モチベーション高く助け合って、シェアの精神もある。メンバー同士で、安全が確保された場で普段よりも正直さを表に出して、その人のすべて(WHOLE)を受け入れる。楽しむ機会は、面白がってクリエイティビティ全開で消費する。見渡せば、本に描かれた光景を実現している気がする。そうか、少しは僕も進めたみたいだ。そして、次の一歩も踏み出せそうだ。

本が気になった人は、手にとってみて欲しい。インターネット的は、2001年からほんの少ししか変わっていない。そして、とてもラボ的だから。

インターネット的 (PHP文庫) 』糸井 重里

また会おう。

読んでいて幸せになれたら、僕にも教えてください。きっと、僕も飛び上がるほど幸せです。 感謝の気持ちを、あなたの居るほうへ送ります💌