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手塚治虫「ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ」

手塚治虫の代表作「ブラック・ジャック」が発表されてから50年。
今年、A I がストーリー制作に参加したという新作「機械の心臓」も読んだ。この作品についていえば、派生的な細かいエピソードがちりばめられているが、作品を貫く太い幹のようなものや、大きな陰影がない。手塚のオリジナルの70%にも到達していないのではないか。

仮に、加藤淳が「ブラック・ジャック」の新作を描くとしたら、
『3人目がいた』というタイトルで、不発弾の杜撰な処理が原因で、幼少の頃、瀕死の重傷を負った主人公が、後年、責任者を探し出し、制裁を加えるという話の続きを軸にしただろう。
このテーマで、手塚自身は『不発弾』『2人目がいた』の2編を発表している。主人公が当初の設定以上に〈いい人になり過ぎた〉ことを気にして、「復讐」というダークな側面をもつ挿話を追加したように思う。
加藤淳の『3人目がいた』は、手塚の初期の名作『落盤』のような構成にしたい。復讐を確実に実行できる状況を手にした主人公が、何かを乗りこえ、自分を克服し、最後のボタンは押さないような。それでこそ手塚だ、と勝手なことを考えていたら「 A I に満足できないなら、私が相手になろう」といわんばかりの本が出た。

執筆時間に制約のある、週刊誌の連載作品が単行本化される際、加筆修正されるのは一般的なことだろうし、手塚が後日、細部に手を入れることも広く知られてきた。ただ、2つの原稿を直接対比して、初出ではこう、単行本ではこうなった、ということを例証する書籍はなかったのではないか。
例えば、ピノコの外見のモデルになった少女が公害病で死ぬ挿話の構成を、手塚は何度も見直している。手塚には珍しい「迷い」が伺える作品ともいえる。そして、他の挿話にも共通するが、最終稿は、他者へ寄せる共感が、さりげないが、より強く書き込まれている。

2024年1月 立東舎「ブラック・ジャック MISSING PIECES」

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