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八甲田山

1977年。立教高校1年の頃、映画「八甲田山」が公開された直後、
青森を訪れ、避難ルートに沿って、アスファルトで舗装された県道を
歩いたことがある。

その45年後、雪中行軍の遭難者が眠る幸畑陸軍墓地を再訪した。
明るい緑色の芝生が広がる墓地の印象は変わらないが、
隣接する場所に遭難の経緯と関連資料を展示する資料館が整備されていた。
一日に数本しかない、帰りの路線バスは1時間半後なので、
資料館のロビーで書架に置かれていた映画「八甲田山」のシナリオを
ガラスの向うに兵士たちの墓標がみえることを意識しながら読み始めた。

映画制作初期のシナリオである。
公開された映画の「決定稿」とはかなり違う。
例えば、当初は2部構成で途中に休憩が入ること。
ちなみに前半は、31連隊が暴風雪のなか民家に野営していて、
〈こんな状況で、外に出たら30分も持たないだろう〉という台詞で終り、
第2部のはじまりは、彷徨する5連隊を描く構成になっている。
全体として、初期稿は新田次郎の原作により近く、映画では三国連太郎、
北大路欣也が演じた指揮官2人の意見の相違、確執がより明瞭に描かれている。小説でも映画でも、三国=山田少佐が中隊編成にこだわる理由が、競合する相手への対抗上の理由に終始するが、この初期稿で橋本忍が追加した
〈中隊こそ、軍事行動がとれる正規の編成だからだ〉
という台詞には説得力があり、これは残すべきだったと思う。

車の往来が少ない車道に出て、小雨の中、バスを待つと、
路線バスは定刻に来た。

2022年6月28日


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