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生きるためにはシステムに取り込まれないこと。

震災後に開かれた高校の同窓会につい参加してしまいました。普通だったら無視するのだけれど「ここで会って行かないと永遠に会えないだろう」という思いまして。。(会えないなら会えないでそれでよかったのだけどね)
そこで何を見たかって?
自分の人生がこんななのは親のせいだ、といってはばからない50過ぎたアダルトチルドレンたちだったのです。

システムの中で頑張ってもなんか気持ちの悪いことにしかならなさそうだと思った。

彼らは、「良い子」だったんだと思います。
素直に、大学→就職→結婚→子育て→パート就労って道を歩んで、国のシステムの根幹をささえてきたわけです。でもそれがなんか違う、と。
それが親への反感という形で噴出したんですな。(たぶん)

私はっていうと、いかにシステムに呑み込まれないように生きるかっていうのを命題として生きてきました。
漫画家という商売を選んだのもそのためでした。
本能的に男女の格差やパワハラとも無縁であると判断したからなんですけど。違いましたね。やっぱりちゃんと「日本社会」でした。
原稿料はいくらいただけるかを聞いたら「生意気」と言われる。世間知らずで同業者と連帯できない孤立したままの自身を出版社に委ねなければならない。命を握られてしまう恐怖。メンタルやられるっしょ。
その中で成り上がる決意をするのもひとつの道ではありますが。
売れ線であればあったで「連載を終わらせたくても終えることができない」なんていうことにもなるようで。それじゃなんのための作品かって感じじゃないですか。

2010年頃、出版社との仕事を一旦終了させたのはそういう実態が見えたからでもありました。作家として出版システムの外で自分に何かできないだろうか、と。まあ、無謀な取り組みではありましたけどね。
インスパイアしあえる編集者もいなくなって創作の喜びはなくなり、どんどん息苦しくなってたので潮時でもありました。


便利=何かに依存している状態、ってこと。

そして今は北海道の北のほうに住んで、パート仕事をしながらMANGA作家として自分のペースで生活している私です。

実は、この春、ここ道北で山沿いの家が借りられるかもってなったとき、何が愉快だったかっていうとインフラに頼らないで生きられるかも!って思えたことでした。

もともと電波の入らない谷沿いの土地で、なるほどそれならそれで面白いじゃないか、と。インフラ依存脱却思考のスイッチがその時入ったんですよね。山からの湧き水を使い、ソーラーで発電し、ポータブルトイレを使い、薪ストーブで煮炊きし・・・。みたいな?

まあ、残念ながら、その家を使うことは諦めなければならなかったのですが
考えたら家そのものがシステムっちゃシステムなんですよね。
家族を持たせ、車を持たせ、家を持たせ、家電を持たせ、よりよい生活のために身を粉にして働け、働いて税金納めろ、と。
たくさん電気を使え、それが文化だ、的な。
自分で望んでそうしているように思わされてますけどね。その実態はテレビが流す情報の奴隷です。

テレビの情報って何かに依存させよう依存させょうとしているんです。
アルコール飲料だけじゃないです。コーヒーでさえそうです。
豆を生産できないのにコーヒーのカフェイン中毒、ってどうなんですか?
肉もそうです。自分で鶏を殺してないのにケンタッキーのCMで唾が湧く。

都会の生活自体が何かへの依存でなりたっているのが見えてきました。


オール電化????

就職・結婚せず、でシステムの外へ。
出版社との仕事をせず、でシステムの外へ。
テレビと肉食を手放して、システムの外へ。

首都圏脱出、でまたシステムの外へ。
自分で食べるもの少しでも自分で作れるようにしておきたいなという思いからでした。

そしたらまたここも日本システムなわけですよ。(当たり前だ)
さらに、当選した公営住宅がオール電化だという・・・。

マイナス20度でも暖かい二重窓の公営住宅。有難い、有難いのですが、閉じ込められ感が半端ない・・・。
空気を・・・。広い場所で新鮮な空気を呼吸したい・・・。


深呼吸~~~。


荒地を開拓、なんて方法に行きついたのは、これがそういう日本システムと平和に距離を置く唯一の方法だったからかもしれません。

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