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新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。その4

避難所で

カーナビのテレビで大津波警報を知り、どこまで被害が大きくなるのか不安になる一方で全くと言っていいほど現実味がなかった。

これは一時的な避難ではなく、実家には当分帰ることができないこと、ライフラインが断たれていること、先が全く見えないこと。。
自分の置かれている状況がどうしても受けれられず、どこか他人事のような感じもしていた。

私たち家族は、暗黙の了解で避難所には入らず、敷地内の駐車場の車中で時間を過ごしていた。
頻繁に起こる余震で、体育館のライトや器具が揺れガシャガシャと音を立てたり、発熱していそうな人やたくさんの人がごった返していた。
夕方17時頃には暗くなり、急激に冷え込んできたが、しばらくして毛布が配られ、少しだけ気持ちが緩んだ。
夜には非常食のお粥が配られたが、その後食料の配布は数日に渡ってなかった(らしい)。

夜が更けてくるにしたがって、避難所に何度となく救急車がやってくるが、動き出すまでだいぶ時間がかかっている。
道の破損がひどいのか、急病の方が多いのか、搬送先を模索しているのだと想像がついた。

そのうち誰かの大きな声で消防団を探す声が聞こえてきた。
どこかで火事が発生したようで、自宅付近ではないか耳を澄ますが場所が聞き取れず不安だけが募っていった。

明日、金沢の自宅へ帰るアタックをする。
あらゆる道が通れなくなっていると僅かな情報が入ってくるが、子供たちを守るにはそうしなくてはならないと早々に決心していた。

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