足りている、から始まる幸せ
足りている——という感覚は幸せや安心感、心の平穏につながるものだ。今の私には、いろいろな物事が足りている。
頼りにしてもらえる仕事、やる気が漲る仕事。必要とされる喜びでする仕事と、本能が疼いてする仕事がある。
自分の「したい」を行動に移す際、躊躇なく使えるお金。例えば「来週、福岡行きたいな」と思い立ったら、航空券とホテルをさっと手配するだけ。
適度に動ける健康な体。キックボクシングでは打ち込み時に息が上がるけれど動き続けられるし、のろのろと1時間走り続けられるくらいの体力はある。
会話が面白い友達、旅して楽しい友達、バカ話ができる友達。今の自分と響き合う友達とこまめに連絡をとり、共にいい時間を過ごす。
居心地の良い、愛すべきパートナー。湖のように穏やかながら、時にひょうきんで、繊細な想像力を持つ彼は賢く、魅力的。
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昔「足りない感覚」を抱えていたことがあった。特に「人」に関するものだ。高校時代、同じクラスに友達がひとりもいなかったとき。離婚後の2〜3年、恋人がいなかったとき。
幸いなことに、仕事とお金だけは足りない感覚を持ったことがない。
金持ちでも吝嗇家でもない、お金それ自体も、お金を使うことも好きなタイプだけれど、不足したことはない。
もちろんお金はもっと欲しいし、良い形で増やしたい。挑戦したり、困った人を助けたりするために、お金はあるに越したことはないから。
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足りない感覚というのは、心をくすませる。
「クラスの誰ともまともに話せない私はいなくなった方がいい。だって居場所がないし、ここにいるだけでしんどい」
「それなりに活動をしているのに、恋人と呼べる人ができない私には、人間的魅力がないということよね。面白味や深みがないんだ」
なんて、自分を否定し続け、ネガティブな穴へ自ら突っ込んでいく。
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あのとき、人生の一部分において、足りない感覚を抱え、外では笑顔でいても、ひとりになったときに悲しい顔をしていた自分に言いたい。
あなたは足りていたんだよ、と。
本当は足りている。今の自分は、今現在までに自分が見た(観た)もの、読んだもの、聴いたもの、味わったもの、行った場所、ひとり・誰かと過ごした時間……あらゆる経験が蓄積した存在。
今の自分が人として最も奥行きがあり、“そのときに必要なもの”をすべて持っているはずなのだ。満ち足りている、ともいえる。
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別れた恋人をふと思い出したり、旅中に素晴らしい景色を見たり、本の中で輝くような一節に出会ったりする度に思う。
「私の中にいろいろなことを残してくれて、ありがとう」「私に素敵な物事を与えてくれてありがとう」と。
すべては経験だ。経験がミルフィーユのように積み重なり、自分というものを形作ってくれていて、それが結果的に自分を満たしてくれている、と気づく。
深い縁があったあらゆる人、場所、出来事に「ありがとう」の思いを抱きながら、新しい月も過ごしていきたい。
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