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しまねの暮らし 2023年5月

4月から新年度が始まり、のんびりできる時間があると思いきや・・・4月後半から5月はバタバタと忙しい日々が続きました。
組織に所属して2年目、仕事がなれてきたと思いきや、新たな業務の挑戦・・・・。う〜ん。
仕事を任せてもらえることは嬉しいと感じることもありますが、タスクが増えすぎて頭がいっぱいになってしまうのは、なんか違うな〜と思っております。

本当に必要なこと、いらないことの整理をきちんとしていかなければな〜という反省。

そんな時は、ヨガをするべし。

こういう時に、ヨガを続けて来れてよかったな〜と思うものです。
自分の心がわさわさしている時、ヨガの時間を持つことで、自分の心かス〜っと落ち着いて穏やかになるのです。

私にとって、ヨガは心を整理してくれるものであり、”ニュートラルな自分”に戻してくれるものなのだと改めて実感しました。


島根暮らし、5月

さて、島根2年目の暮らし、5月です。
夏のような暑さもありますが、湿度が高すぎないで、風が気持ちい季節です。
田んぼは田植えをして、ちょこんと緑色のかわいい田んぼのお顔になりました。これから稲が成長していく姿が楽しみです。

5月は埼玉在住の大学時代の友達が島根に来てくれました!
とにかく、私のおすすめ島根を案内して、島根の素晴らしさを実感してくれました〜✨
海へ行ったり、滝をみたり、美味しいごはんを食べたり、五感を使って、島根を楽しんでもらえて大満足✌


話しながら思っていたのですが、
島根は出雲大社がある”ご縁がある場所”ともよく言われています。
ここにいる人たちは、欲がないな〜と思うのですが、
”ご縁があれば、なるようになる”
そんな文化がここにはあるように感じています。

島根に来てから、”なるようになる”と考えられるようになってきたし、自然の中にいると、”これでいい、それでいい”そう感じることが多いいです。

忙しいと忘れがちですが、自然の中に身を委ねて、今日(休みの日)はボ〜ッと自然を満喫しようと思います。



”アイデンティティ”とは何か?

アイデンティティという言葉をよく聞くような聞かないような。
私が”アイデンティティ”に興味を持ち始めたのは、カナダで暮らしていた頃でした。

『私は何者なのか?』

という疑問は、小さい頃から思っていましたが、日本で暮らしていると、そこまで強く感じる経験はありませんでした。その答えを出す必要性も感じることなく大人になった気がします。

27歳でカナダ(バンクーバー)に一人で渡り、暮らしていく中で、たくさんの文化が混ざり合い、たくさんの人種がいる中で『”わたし”って何をして生きていきたいんだろう?この世界にいる”わたし”がいる意味ってなんなんだろう?』という問いが生まれました。その体験が、アイデンティティについて考えるきっかけになりました。

帰国後、子どもと関わる仕事を始め、エリク・エリクソンの『8つの発達段階』を学ぶ中で、青年期(12歳ごろ-20歳ごろ)の心理的発達段階に『アイデンティティの確立と拡散(混乱)』があることを知りました。

まだまだ、アイデンティティってなんなんやろ?という想いはありますが、調べていく中での学びを少しシェアしていきたいと思います。


”アイデンティティ”について辞書で調べて出てくる言葉は、『自我同一性』、
それは、なんやねん。どういうことやねん。とツッコミたくなりますね。

『自我同一性』とは・・・

アメリカの精神分析学者エリクソンの用語。心理社会的発達によって青年期に獲得されるもので、アイデンティティともいう。人間は、母親、父親、兄弟、友人、教師などとの対人関係のなかで社会化されながら自我を発達させていく。自分にとって意味のある重要な他者との関係で「息子としての自分」「男性としての自分」「学生としての自分」などさまざまな社会的自己・役割を形成していくのである。こうした社会的自己・役割を見直し、取捨選択して統合した人格的同一性を形成することが青年期の発達課題である。どんな人種的集団、あるいは社会的階層の一員であるか、どんな職業生活を選択し、どんな人間になろうとしているかについて、自分を反省し、これが矛盾なく全体として統一のとれた体制をつくっていれば、自分がだれであるかを明らかにすることができ、自我同一性ができあがるといわれる。青年期は自我同一性の確立をめぐってさまざまな試行錯誤が行われるが、これは社会的役割実験といわれる。青年期は同一性の危機の時代であるといわれるが、しかし自我同一性は青年期に限ったものではなく、誕生から死に至るまでにわたる人間の課題であり、容易に解決できるものでもない。

コトバンク


とコトバンクには書かれております。むむむ。

まぁ、要するに、
『私は誰なんだろう?』
ということを、自分で問いかけ続ける中で、”過去の自分”も”今の自分”も、”未来の自分”も変わることのない『自分』であることを示すものなんですかね。

自然や社会、自分の肉体も含めて、目に見えるものは全て変わっていきます。社会において自分の役割も変化していきます。
”変化する環境の中で、変わらない自分という存在”を示すものがアイデンティティなのかもしれません。

ただ、ここで捉え違えてはいけないのが、『自分』という存在は変わらなくても、『アイデンティティは変化する』ということなのです。

アイデンティティは、”ある時期にいったん確立したら、二度と内的な葛藤を経験しなくなり、どんなに状況が変わっても動じなくなる”といった、普遍的で静的なパーソナリティの特性ではない。青年期のアイデンティティの拡散は、幸福や成功を期待しているとき、もしくは現にそれを味わっているときには、はっきりと必要としないが、自分がさまよっていると感じる時には、それとなく人生の段階で何度も現れて、自らを取り戻させるものなのである。

『アイデンティティ 時間と関係を生きる』p32


アイデンティティの発達は長期的なプロセスであり、人生の様々な節目で問い直され、変化し続けるものなのである。

『アイデンティティ 時間と関係を生きる』p98


アイデンティティとは、変化していくものだということが学びになりました。

そして、アイデンティティの確立(「私は何者?」を問うこと)は、幸福や成功を味わっているときに必要とされないこと、もまた新しい学びになりました。

自分を思い返してみると、カナダで暮らしていた半年くらいは、本当に大変でした。友達もいない、仕事も満足してできていない、お金もない。孤独で大変な時期でした。それでも、考える時間はた〜っぷりあって、自然を感じながらボ〜ッとする時間はたくさんあったので、自分について、アイデンティティについて考え始めたのかもしれません。

日本の暮らしでは、なかなか『私は誰だ?』と問うこと環境にならないこともありますが(次回以降、ここについてはお話していければと思っています。)
今の世の中、ボ〜ッと考える余裕がないのかもしれないな〜なんて思ったりします。

アイデンティティが確立したら、どうなるのか。
アイデンティティの拡散(混乱)とはなんなのか。
なぜ、青年期の発達段階として、アイデンティティが関わってくるのか・・・など、
知りたいことは山ほどありますので、ゆっくりじっくり、自分のペースで学びを深めていけたらな〜と思っています。

また、新たな気づきをシェアしていきますね。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます🌱



【島根の5月】

カタクリの花
友達を見送って、空港からみた綺麗な島根の空

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