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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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記事一覧

アウシュヴィッツの後で道徳はいかに可能か——アレントの考えた「共通感覚」

アウシュヴィッツのあとでまだどのようにして倫理が可能であるのか。このテーマに応えようとしたのが、ハンナ・アレントの『責任と判断』に収載されている「道徳哲学のいくつかの問題」という文章である。これは1965年にアレントが教授をつとめていたニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ校で開講された長い講義の記録である。冒頭に引用したのは、その連続講義の第四講において、カントの判断力と共通感覚についての説明をしている部分である。 第二次世界大戦とその戦後の世界で、道徳原則が二回崩壊

「ウェルビーイング」を主体に考えるフィンランドの教育

2019年刊行の『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』からの引用。著者の岩竹美加子氏は、1955(昭和30)年、東京都生まれ。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授を経て2019年6月現在、同大学非常勤教授(Dosentti)。ペンシルベニア大学大学院民俗学部博士課程修了。著書に『PTAという国家装置』、編訳書に『民俗学の政治性』等。 人口約550万人、小国ながらもPISA(一五歳児童の学習到達度国際比較)で、多分野において一位を獲得、近年は幸福度も世界一となったフィン

批評とは「表層」の体験である——蓮實重彦『表層批評宣言』を読む

蓮實重彥(はすみ しげひこ、1936 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介されるさいに中心的役割を果たす一人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第

われ苦しむ、ゆえにわれ在り——ベケット『ゴドーを待ちながら』を読む

サミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906 - 1989)は、アイルランド出身の劇作家、小説家、詩人。不条理演劇を代表する作家の一人であり、小説においても20世紀の重要作家の一人とされる。1945年以降おもにフランス語で執筆した。ウジェーヌ・イヨネスコと同様に、20世紀フランスを代表する劇作家としても知られている。1969年にノーベル文学賞を受賞。 1952年、現代演劇に多大な影響を及ぼすことになる戯曲『ゴドーを待ちながら』を発表。同戯曲は翌年、ロジェ・

精神は自己に不安として関係する——キルケゴールの『不安の概念』を読む

セーレン・キルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard、1813 - 1855)は、デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、ないしはその先駆けと評価されている。キルケゴールは当時とても影響力が強かったヘーゲル学派の哲学、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。キルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも

愛しながらの争い——ヤスパースの「交わり」の哲学

カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers、1883 - 1969)は、ドイツの哲学者、精神科医であり、実存主義哲学の代表的論者の一人である。現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)などの著書が有名。ヤスパースは、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。精神病理学者として、哲学者(神学者)として、政治評論家としての活動である。 かつて第二次大戦後に実存主義が流行

カントはなぜかくも難しいのか——中島義道氏の『カントの読み方』より

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)は、プロイセン王国の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。 カントは難解として知られる。それはカントの原書を読んだ人なら誰もが知っている。まさに「ちんぷんかんぷん」なのである。本書『カントの読み方』では、カント研究者の中島義道氏が、まずカント

この意識は私に固有のものか?——廣松渉の「世界は共同主観的に存在する」論について

廣松 渉(ひろまつ わたる、1933 - 1994)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。廣松の思想はマルクス主義の立場に立脚し近代の構図から離れ新たな思想を組み立てようとするところに特徴がある。廣松の主要概念は、①マルクス主義の疎外論から物象化論への展開、②世界の共同主観的存在構造、③近代の超克論などである。本書『世界の共同主観的存在構造』は、1972年に刊行された本格的な哲学論文である。 この論文の冒頭は次のような問題意識から始まる。「哲学の沈滞が叫ばれるようになってから

社交とは「演じる」という形式の相互行為である——ジンメルの相互行為論より

社会学者の大澤真幸さんの本『社会学史』より、社会学者のゲオルク・ジンメル(Georg Simmel, 1858 - 1918)についての解説を抜粋。ジンメルは、デュルケームやヴェーバーに比べると「こういうことを言いました」という要点を取り出しにくい社会学者である。しかし、デュルケームと同様に、やはり「社会」を見出したのがジンメルであり、ジンメルの社会学のキーワードを取り出すならば「社会圏」や「相互行為」という用語が挙げられる。 社会圏(social sphere)とは、ジン

アイデンティティが人間の出発点ではない——M・ガブリエルの新実存主義と他者論

マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )はドイツの哲学者。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る。NHK Eテレ『欲望の時代の哲学』等にも出演。他の著書に『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界

ブルシット・ジョブを支える「経営管理主義イデオロギー」——グレーバーの提唱したBSJ理論

「ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論(Bullshit Jobs:A Theory)」は、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書で、無意味な仕事の存在と、その社会的有害性を分析している。彼は、社会的仕事の半分以上は無意味であり、仕事を自尊心と関連付ける労働倫理と一体となったときに心理的に破壊的になると主張している。「ブルシット(Bullshit)」は、原義は「牛糞」だが比喩的な意味ではなく、辞書での定義は「馬鹿馬鹿しい」「無意味な」「誇大

拒絶において受容する——外来の普遍思想に対する日本の「拒絶的受容」

社会学者の橋爪大三郎さんと社会学者の大澤真幸さんの対談による『げんきな日本論』。なぜ日本には天皇がいるのか、なぜ日本人は仏教を受け入れたのか、なぜ日本には院政が生まれたのか、なぜ秀吉は朝鮮に攻め込んだのかなど、日本史におけるさまざまな疑問を、社会学の方法で、日本の「いま」と関連させる仕方で掘り下げた本である。 引用したのは「なぜ日本人は仏教を受け入れたのか」というところから。仏教は単なる思想や宗教ということではなく、当時は建築、暦法、冶金、漢字、衣料などの精神文化と科学技術

自由の本質とは「状態」ではなく「感度」である——アーレントによる自由の定義

本書『「自由」の危機 ――息苦しさの正体』は、2020年9月の政府による日本学術会議会員の任命拒否問題に端を発して組まれた特集である。筆者には、姜尚中、佐藤学、上野千鶴子、小熊英二、高橋哲哉、苫野一徳、内田樹などが名前を連ねる。「学問の自由」、ひいては私たちの生活における「自由」を守るために、さまざまな文筆家やジャーナリストが筆をとっている。 引用したのは哲学者・教育学者の苫野一徳氏の文章である。苫野氏はルソー、ヘーゲル、アーレントといった哲学者たちがいかに「自由」を論じて

怨みに報いるに怨みをもってすることをやめる——『ダンマパダ(法句経)』より

最古の仏典の一つである「ダンマパダ(Dhammapada)」からの一節である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法(ダンマ)」の「言葉(パダ)」という意味である。監訳では「法句経」と言われる。パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。「スッタニパータ」とならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった後代に編纂されたものと考えられている。 この聖典はとくに南アジアの諸国(スリランカなど)で尊ばれてきたが