マガジンのカバー画像

そんそんの教養文庫(今日の一冊)

176
一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
運営しているクリエイター

2024年2月の記事一覧

日本人はなぜ「空気」に動かされてしまうのか——山本七平の思想

山本七平(やまもと しちへい、1921 - 1991)は、日本の評論家。山本書店店主。1970年にイザヤ・ベンダサンというペンネームで『日本人とユダヤ人』を山本書店より発売し、ベストセラーとなる。1977年に『「空気」の研究』を発表。日本人が「空気」に支配されてしまう構造を鋭く分析した。その後、山本七平の実名で数多くの著書を発表し、時代に大きな影響を与えた。山本は学術機関に身を置く研究者ではなく、書店店主という在野の立場でありながら、日本社会・日本文化・日本人の行動様式を「空

15対50問題——メリトクラシー(能力主義)が分断する社会

語っているのは1956年英国生まれのジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハート(David Goodhart)。現代社会や世界情勢などに鋭く切り込むことで定評のある、イギリスの総合評論誌『プロスペクト』誌の共同創刊編集者である。このインタビューにおいて彼は、現代の「メリトクラシー」社会を批判する。 「メリトクラシー(能力主義)」という言葉を使ったのは、イギリスの社会学者マイケル・ヤング(Michael Young, 1915 - 2002)が最初である。現代では「能力主

SOSのケイパビリティ——村上靖彦さんの『ケアとは何か』を読む

現象学研究者の村上靖彦さんの著書『ケアとは何か』より引用。村上さんはメルロ=ポンティやレヴィナスなど現象学(哲学)の研究者だが、自閉症の研究、看護師の実践の研究、大阪西成区の生活困窮家庭の研究など幅広いテーマを現象学という視点で鋭く分析している。すでに医療・看護現場の研究には20年来携わっており、その立場から「ケアとは何か」というテーマを村上さんらしい言葉で語っているのが特徴である。目次は、第1章「コミュニケーションを取る」、第2章「〈小さな願い〉と落ち着ける場所」、第3章「

怒りを制する——ブッダのことば『スッタニパータ』より

原始仏典の一つ『スッタニパータ』より、冒頭の一文を引用。スッタニパータは、スリランカに伝えられたパーリ語仏典である。 最初は「蛇の章」から始まる。人間の怒りなどの想念が「蛇」として例えられる。 そして、この怒りという毒を制することの重要さが強調される。 この後には、愛欲、妄執、驕慢を捨て去ることの重要さが説かれる。そして、想念、妄想を乗り越え、一切は虚妄であるという「空」の思想を自覚することの重要性が説かれる。(「空」という言葉自体は後年つくられたものであり、ここでは登場

幸福の「ゆるやかさ」——快楽と最高善のかなたにある幸福観

哲学者の長谷川宏氏(1940 -)の書籍『幸福とは何か』より引用。長谷川宏氏は、1968年に東京大学文学部哲学科博士過程単位取得退学。自宅で学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰。著書に『日本精神史』(講談社)、『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)、『生活を哲学する』(岩波書店)などがある。 本書では、古代ギリシャ・ローマの幸福観としてソクラテス、アリストテレス、エピクロス、セネカの考え方、また西洋近代の幸福論としてヒューム、アダム・スミス、カント、ベンサム

〈いのち〉のわからなさ——最首悟さんの思想

引用したのは相模原障害者施設殺傷事件に関する本『開けられたパンドラの箱 ――やまゆり園障害者殺傷事件』より、思想家であり重度障害者の娘をもつ親でもある最首悟(さいしゅ さとる, 1936年生)さんの文章からである。 重度障害者を「心がない者」と決めつけ、社会の負担になっているから問題解決のために排除するべきであると主張する植松聖に対して、最首さんは文通を通して向かい続けてきた。 しかし、最首さんは言う。「心がないという状態はどういうことなのか」と。そもそも表現されない感覚

数学的概念は実在するか——ノイマンとゲーデル

ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann, 1903 - 1957)は、ハンガリー出身のアメリカ合衆国の数学者。数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・ゲーム理論・気象学・心理学・政治学に影響を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、特に原子爆弾やコンピュータの開発への関与でも知られる。 ノイマンは現代のコンピュータの父と言われ、インプット→CPU(中央演算ユニット)→アウトプットの「ノイマン型アーキテクチャ」を開発した。彼がコンピュータを発明

「自由」を捉えなおす——戦後的価値が劣化する社会への処方箋

著書の西谷修さん(1950 - )は、日本の哲学者。東京外国語大学名誉教授。元立教大学大学院文学研究科(比較文明学専攻)特任教授。バタイユ、ブランショ、レヴィナス、ルジャンドルらに影響を受けたフランス現代思想が専門の人である。 本書『私たちはどんな世界を生きているか』では、現代の特徴として、平等社会の最階層化(格差の固定化)、民主主義の「劣化」、権威主義の台頭、ポスト真実、ポストヒューマンの時代となっていることが挙げられている。それは、一言で言うならば、「戦後的価値の劣化」

上司はなぜ思いつきでものを言うのか?——儒教文化と日本の組織

橋本治(1948 - 2019)さんは、小説家・評論家・随筆家で、1977年に作家としてデビューした後、博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮した。1968年、東京大学在学中に「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目されたという(当時は東大紛争のさなかだった)。 本書『上司は思いつきでものを言う』は、儒教の伝統にまで遡り、日本特有のサラリーマン社会の構造を読み

即身成仏とは

平安時代の仏教のスーパースター、最澄と空海が言った言葉「即身成仏」。この身のままに、すぐに仏になることができるよという教えである。まだ「念仏を唱えればすぐに成仏できるよ」という鎌倉仏教が登場する前の時代、密教の時代である。 空海(774 - 835)は『即身成仏義』という本を書いている。その中では、密教の仏としての宇宙的な法身・大日如来は、その実在的な局面においては、地・火・水・風・空・識の六大法身として捉えられる。この六大要素は私たちの身体も同様に構成していることから、空

語り得ぬ真理について沈黙するヴィマラキールティ——『維摩経』を読む

『維摩経』 (ゆいまきょう、ゆいまぎょう、梵: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ)は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。維摩経は初期大乗仏典で、在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩)にまつわる物語である。 維摩経とは、このような話である。ヴィマラキールティが病気になったので、釈迦が舎利弗(シャーリプト

聖性と戯画との境界上にある〈顔〉——辺見庸『月』とレヴィナス

辺見庸氏の小説『月』からの引用である。辺見氏は、小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信社記者。1991年に『自動起床装置』で第105回芥川賞受賞。『もの食う人びと』(1994年)などのルポルタージュでも異彩を放つ。他の代表作に『赤い橋の下のぬるい水』(1992年)、『水の透視画法』(2011年)などがある。 『月』は、2016年の相模原障害者施設殺傷事件を題材にした小説である。しかし、普通の小説を想定して読み始めると度肝を抜かれることになる。一人称で語られるのは寝たきりで

互酬性なき贈与の関係——アナルコ・コミュニズム

哲学者の森元斎氏が書いたアナキズムの入門書より引用。森氏は大阪大学大学院で博士(人間科学)を取得。専門は哲学・思想史で、著書に『具体性の哲学——ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)などがある。 アナキズムと言うと「無政府主義」など過激なイメージがあるが、本書はそのイメージをガラリと変えてくれる。私たちの自然な生き方にはアナキズムやコミュニズムが含まれているという。 まずアナキズムとは何か。鶴見俊輔の定義によると「アナキズムは、権力による強制なしに人間がたが

「平等主義的社会」とは何を意味するのか——『万物の黎明』を読む

本書は、人類学者デヴィッド・グレーバーが、考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著で書いた「The Dawn of Everything: A New History of Humanity」の翻訳であり、多くの論壇で話題となっている書である。デヴィッド・グレーバーは「ブルシット・ジョブの理論」でいまやかなり有名であるが、2011年のウォール街を占拠せよ運動(オキュパイ運動)でも指導的な役割を果たしたことで知られる。2020年コロナ禍の最中に、イタリアで享年59歳で亡くなった