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ケインズとハイエクに対して蔓延する誤解——平時と危機時の経済学

たとえばケインズの主張は、いわゆるマクロ経済学の中の一つの立場(ケインズ主義)として理解される傾向がある。けれどもケインズ自身は計量分析には悪罵を投げつけたし、昨今のニュー・ケインジアンのように賃金が固定的であることが失業の原因だという見方については、1936年の主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』(以下、『一般理論』)でわざわざ批判している。
一方、ハイエクは、社会主義・ケインズ主義の徹底した批判者であり政府と行政の肥大化を糾弾したところから、新自由主義の提唱者であるかにみなされてきた。だが規制や慣行を撤廃せよと説く構造改革ほど、彼の思想から遠いものもないだろう。というのも、ハイエクが唱えたのは中央銀行のみならず民間の金融機関にも規制をかけることであったし、慣行を前提にその組み替えを原動力とする自由社会を築くことだったからだ。

松原隆一郎『ケインズとハイエク:貨幣と市場への問い』講談社現代新書, 2011. p.10-11.

経済学の二大巨頭、ケインズとハイエクの話である。

まずケインズの経済学をおさらいしておこう。ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes 、1883 - 1946)は、イギリスの経済学者。ケインズは、失業の原因に関する経済理論を確立し、代表作である『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)では、完全雇用政策に基づく経済不況の救済策を提唱した。ケインズはマクロ経済学、いわゆる「ケインズ経済学」の理論を打ち立てた。また、第二次世界大戦後の外為体制(ブレトン・ウッズ体制)に関して助言した。ケインズ経済学は、1970年代に景気後退対策としてはマネーサプライに限定すべきと主張するマネタリズムが台頭してからは、一時勢いを失ったものの、2007年の世界金融危機以後、ケインズ理論に基づく政策が成功し、新ケインズ主義も台頭した。

一方のハイエクの経済学・政治哲学とはどのようなものか。フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(Friedrich August von Hayek、1899 - 1992)は、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者・哲学者である。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した彼の思想は、市場経済と個人の自由を重視する「自由主義」の立場である。ハイエクは、政府による経済への介入や計画経済を批判し、自由市場経済の擁護者であった。主著『隷属への道』では、社会主義や集権的計画経済が個人の自由を脅かすとして警鐘を鳴らした。またハイエクは、社会秩序は上からの命令によってではなく、個々人の自由な行動と相互作用から「自発的に」生まれると主張した。この自発的な秩序の概念は、彼の政治哲学においても中心的な役割を果たしている。

しかし、本書『ケインズとハイエク』において社会経済学者の松原隆一郎氏は、ケインズとハイエクの思想に関しては誤解が蔓延しているという。例えばケインズは、マクロ経済学の一つとして理解される傾向にあり、あたかも計量経済学(マクロ経済学などの理論をデータ分析によって実証し、経済予測に結びつける分析手法)の提唱者であったかのように思われているがそれは誤解だという。ケインズは計量分析を批判していたのだ。賃金の固定化が失業の原因であるというニュー・ケインジアンの考え方に対しても、ケインズは異なる考えを持っていた。

一方、ハイエクの思想は計画経済を批判し、自由市場と個人の自由を守るという「自由主義」の立場であったため、ミルトン・フリードマンらが進めた「新自由主義」経済の先導者であったかのように思われているが、それも誤解である。新自由主義では、あらゆる規制を撤廃する「構造改革」が進められるが、これはハイエクの思想からかなり隔たっているという。ハイエクの思想は「慣行」を前提にして、その組み替えを原動力とする自由社会を築くことにあった。ハイエクは単なる経済学者というよりは、社会全体の秩序と個人のあり方を考えた政治哲学者であったし、彼の学問的影響は法哲学や心理学にまで及ぶ広範なものである。

ケインズとハイエクは、政府による経済介入を推奨するか批判するかで思想が真逆のようにも見える。しかし両者には実は共通点もある。本書はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までにたどった思想的な経緯を追い、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどうとらえたかを論じたものである。

二人の相違点は、市場経済をマクロでとらえるかミクロから理解するかというものである。ケインズは、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとした。一方、ハイエクの立場からは、「マクロ」を市場の分析単位とすることそのものが市場への介入の第一歩であり、市場経済をミクロで扱おうとした。しかし、ハイエクはそれだけでは自律性を論証できないと悟り、後半生では慣習法の必要性を重視した。

彼らには共通点もある。ケインズもハイエクも、将来を新古典派のようにリスクではなく「不確実性」でとらえ、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察したのである。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないという意味での「不確実性」が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」である。つまり、不確実性が高まると、人々は(本来はそれだけでは何の価値も持たないはずの)貨幣を貯め込もうとする。ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行するというルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとした。両者は対立したというよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したわけである。


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