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金子みすゞの「不思議」のこころ——童謡集『さみしい王女』より

不思議

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉食べている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。

金子みすゞ『矢崎節夫と読む金子みすゞ第三童謡集 さみしい王女』JULA出版局, 2012. p.94-95.

金子 みすゞ(かねこ みすず、本名:金子テル、1903 - 1930)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。26歳で夭逝するまで約500編の詩を遺した。没後半世紀はほぼ忘却されていたが、1980年代以降に脚光を浴び、再評価が進んだ。

引用したのは「不思議」という詩。みすずは、「不思議」の心をもった人だったことがよく分かる。それは、普通の人が不思議と思わないことを不思議と感じる稀有な感覚である。黒い雲から落ちてくる銀の雨粒、青い桑の葉と真っ白な蚕。読んでいてまざまざと浮かんでくる色の対比も見事である。そして、みすずが感じた「不思議だ」ということを人に伝えても「あたりまえだ」と返されることが、また「不思議でたまらない」とうたっている。でもそこには悲壮感はなく、不思議の国に生きるみすずの軽やかな笑顔が、この詩を読んでいて目に浮かんでくるようである。

本書『さみしい王女』は、みすずを再発見した矢崎節夫さんが編集した童謡集で、矢崎さんは長門市にある金子みすゞ記念館の館長も努めている。(この本はその記念館で購入したものである。)みすずは夫から伝染させられた性病(淋病)で病床につき、26歳の若さで亡くなってしまう。しかも、晩年は夫に詩の投稿や詩作仲間との文通を禁じられていたという。それでも、500編以上の詩・童謡を作ったみすずは、「美しい町」「空のかあさま」「さみしい王女」と 題した3冊の童謡集を二組制作し、西條八十と弟の正祐(当時上山雅輔の名前で文藝春秋社の編集者をしていた)にそれぞれ託した。

没後50年以上忘れられていたみすずであったが、童謡詩人の矢崎節夫さんが、学生時代に「日本童謡集」(岩波文庫)に1編だけあったみすずの詩「大漁」に心を摑まれ、以来、みすずを追い続けた。そして、弟の正祐さんが手元に残していた遺稿を元に、1984年「金子みすゞ全集」を刊行し、再評価が進んだのである。

みすずの詩で最も有名なものは「私と小鳥と鈴と」の中の一節「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい。」だろう。また、東日本大震災の後には「こだまでしょうか」が、ACジャパンのCMでも使われ話題になった。いまや、数多くの絵本にもなっており、金子みすゞを日本人で知らない人はいないというくらいに有名になった。これも、みすずを再発見した矢崎節夫さんの功績である。本書『さみしい王女』は、その矢崎節夫さんの解説も入っているというスペシャルな一冊となっている。


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