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リゾーム的に◯◯せよ!―ドゥルーズからの挑戦状

さて、ドゥルーズである。

ここで「ドゥルーズじゃなくて、リゾームならドゥルーズ&ガタリじゃね?」と思われたあなた。通ですね。
でも、ここではドゥルーズとしておきます(理由は後で述べます)。

ジル・ドゥルーズとは何者か。これについては前回のブログを参照してほしい。

先月、ドゥルーズの晩年の作品『哲学とは何か』を読み終わった。
そして今、彼(ら)の代表作である『千のプラトー』を読んでいる。

そして、相変わらずドゥルーズにやられちゃっている。

その序章の最後には、まるで哲学書とは思えない(むしろ、ヒップホップかラップ調?)こんな箇所が出てくる。

nで、n-1で書く、スローガンで書く。リゾームをつくれ、根をつくるな、決して植えるな!蒔くな、突っ込め!一でも多でもなく、多様体であれ!線をつくれ、決して点を作るな!スピードは点を線に変える!速くあれ、その場にいるままでも!チャンスの線、ヒップの線、逃走線 [ligne de fuite]。あなたのうちに将軍を目覚めさせるな!正しい理念ではなく、或るひとつの理念だけでいい(ゴダール)。短い理念だけを持て、地図をつくれ、写真でもない、デッサンでもない!ピンク・パンサーであれ、そしてあなたの愛もまた、スズメバチとラン、ネコとヒヒのごとくであるように。

ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』(上)59頁

ここで述べられているあらゆる言葉や概念(n-1、リゾーム、多様体、点でなく線、逃走線、地図、スズメバチとラン、etc)は、ドゥルーズを丁寧に読み解いていくと理解できるようになっている。決して常軌を逸した人の戯言ではない(一見、そう見えるだろうが…)。

ここでの鍵概念「リゾーム」とは何か。
「地下茎」「根茎」とも訳されるその言葉は、地下で複雑で多様な形状で互いにつながっている植物の根茎のように、互いにさまざまなところで接続されたり、切断されているような多様体を思い浮かべてもらうと分かりやすい。

この多様体(リゾーム)は、始まりも終わりもなく、中心もなく末梢もなく、幹もなく枝葉もない。

反対の概念として、「ツリー状」のものを思い浮かべてもらうと良い。樹木には幹(中心)があり、枝葉(末梢)がある。主と従があり、メジャーとマイナーがある。権力者(支配者)と被支配者がいる。

対して、リゾームには中心がなく、常に生成し変化し続ける流動的な多様体なのである。

はたして、ドゥルーズはこの「リゾーム」によって何を言わんとしているのか?

一つには合理主義哲学(デカルトからハイデガーまでを含む)が行き着いた全体主義の限界を超えようとしているという仮説。つまり、ツリー状構造とそれに潜む主体-客体化や複製されるマジョリティによる権力構造(つまり全体主義化)は、リゾーム状構造によって脱却できるかもしれない。

さらには、社会のあり方がツリー状(ヒエラルキー)構造から、リゾーム状へと変化していくだろうという一種の予言として捉えられるという仮説。確かに、SNSの普及による非中心型コミュニケーションのネットワーク、さらにはブロックチェーン技術など脱中心型管理構造体の出現など、2020年代の現時点がまるでドゥルーズの予言したリゾーム状構造を目指しているようだ。

あるいは、個人のリゾーム化をもドゥルーズは目論んでいたのではないか。
例えば、彼(ら)は『千のプラトー』自体を、リゾーム的に構成して書いており、さらにはその著者はドゥルーズという一でも、ドゥルーズ&ガタリという多でもなく、多様体のドゥルーズ=ガタリとして書いていると説明している。(なので、リゾーム概念はドゥルーズか、ドゥルーズ&ガタリかという問いには意味がないだろう)

ドゥルーズの叫び「リゾームをつくれ、根をつくるな、決して植えるな!蒔くな、突っ込め!一でも多でもなく、多様体であれ!……」は何を意味するのか。
僕は、「リゾーム的に◯◯せよ」(しかし、そのあり方にも全体性や超越性が潜まないよう十分に注意しながら)というドゥルーズからの挑戦状のように思える。

僕にはこれが一種の救いのようにも思える。

例えば、現代の教育や社会運動。
リゾーム的な学び、リゾーム的な成長、リゾーム的な協働というあり方は考えられないだろうか。中心もなく末梢もない、はじまりも終わりもない。そもそも学びとはそういうものではないか。
そして「体系的に学ぶ」ということに囚われるあまりに、今の子どもたちは窒息しかけて瀕死の状態になっていないだろうか。

そもそも人間存在にはじまりや終わりはあるのだろうか。
そうした存在論的リゾームというのも考えられるかもしれない。
このあたりは東洋哲学に近いような気がする(実際、ドゥルーズも西洋哲学はいつも超越を意識しすぎてツリー状になっていると述べている)。

さて、個人的にはゴダールのくだりが気になるところである。
一人の映画ファンとして。

このブログも、始まりも終わりもなく、リゾーム的に……。






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