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アリストテレスの「ミメシス」と「物語」の関係―ブルーナーの『意味の復権』を読む

アリストテレスはこの概念(ミメシス)を、「詩学(Poetics)」のなかで、ドラマが「人生」を模倣するしかたを述べるために用いている。おそらくそれによって、物語は、事をそれが生じたように何とかして報告しようとすることから成り、物語の秩序は、人生における出来事の秩序によってかくのごとく決定されるという意を彼は含めようとしているように思われる。しかし、「詩学」を厳密に読んでいくと、彼が何か別のことを心に留めていたことが分かる。ミメシスとは「行為としての生」をとらえたものであり、実際に起きたことをより入念に構築し、より良く作り上げることである。

J・ブルーナー『意味の復権―フォークサイコロジーに向けて(新装版)』ミネルヴァ書房, 2016. p65-66.

心理学者ジェローム・ブルーナーの1990年の著書『Acts of Meaning(意味の行為)』の翻訳本である。邦訳ではタイトルが『意味の復権』に変わっている。

ジェローム・ブルーナー(Jerome S. Bruner, 1915 - 2016)は、アメリカ合衆国の心理学者。一般には教育心理学者として知られているが、認知心理学の生みの親の一人であり、また文化心理学の育ての親の一人でもある。ハーバード大学で動物心理学を学び、1941年に学位を取得。欲求や動機づけが知覚に影響を及ぼすことを示す一連の研究を行い、ニュールック心理学を主導する。その後、思考方略や教育方法の研究に進み、1959年には教育方法の改善に関するウッズホール会議の議長となって、その成果を『教育の過程』として出版。1972年にはイギリスに渡り、8年間に渡ってオックスフォード大学教授を務め、主に乳幼児発達に関する研究を行った。その後、アメリカに戻り、文化心理学やナラティヴ研究への理論的貢献を行った。(Wikipediaより)

本書「意味の復権」において、文化心理学の基礎にある「フォークサイコロジー」(日常心理学)こそが、人間の行為の意味解明において重要だとブルーナーは主張する。それは、人間が文化の中で、自分自身や他者、その存在や行為、それらをとりまく世界をどう意味づけてゆくのか、その際の見方や信条、価値観等を基礎づけるものである。人の行動の原理は論理的・カテゴリー的命題にもとづく「科学的心理学」だけでは解明できない。むしろ、志向性をもって生きる行動主体が、人々との交渉の中で、「生」の営みをどう展開し、それを意味づけてゆくかが問題となり、そのような「物語」的構造にもとづく心理学によって解明すべきである、と彼は述べる。

ブルーナーの主張は、人間の行為の意味解明において、「科学的な知(範例的な知)」の構造によるものだけでは不十分であり、「物語的な知」の構造を視野に入れた心理学を強調したものである。彼の「物語的な知」の概念は、歴史哲学や文学論など社会科学において「物語論的転回(narrative turn)」と呼ばれる大きな影響をもたらした。さらに医療の分野においても、この流れを受けてナラティブ(物語・語り)の決定的な重要性が認識されるようになり、「ナラティブ・メディスン」などの動向が生まれている。

冒頭の引用は、アリストテレスの「ミメシス(ミメーシス)」概念について述べた部分である。ミメシスとは直訳すると「模倣」となる。アリストテレスは「詩学」の中で、人間の芸術行為とは、人・物の言葉・動作・形態の特徴を模倣することによってその対象を如実に表現しようとするものであると述べた。しかし、この概念は大いに誤解されているところもあり、また「詩学」を厳密に読むと、アリストテレスはもっと深いことを言っている、というのがブルーナーの主張である。

ブルーナーは、ミメシスとは「「行為としての生」をとらえたものであり、実際に起きたことをより入念に構築し、より良く作り上げることである」と述べる。ミメシス(模倣)という言い方は一種のメタファーであって、「現実を写しとるためではなく、現実に新しい読みを与えるために現実に言及する」ものであると述べる。例えば、人間が過去の自分の行為を振り返って、新しい意味づけをして、自分の人生のストーリーを再構築するというようなこと。そのような「行為としての生」こそが、アリストテレスの言う「ミメシス」なのである。ミメシスとは過去の焼き直し=模倣という意味なのではなく、新しい意味づけとでも言うべきものであり、ブルーナーの「意味の行為」論の中核に関係するものである。


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