イラン紀行 ペルシアの風に揉まれて  ①国際政治の荒波に遭遇

混乱が続くイラン情勢を前に、大好きなイランに安定した平和な日々が訪れることを祈りながら。

(2018年)イランへはトルコ・イスターンブールのアタチュルク国際空港を経由して向かった。深夜1時に出発する便の乗り継ぎまでの間、イスタンブールを覆う厚い雲の中に消えていく、離陸する飛行機を出発ロビーの長椅子に横になりながらひたすら眺めていた。荷物の減量のために、暇つぶしのための本を部屋に置いてきてしまったことを悔やんだ。夜も深まり、離陸する飛行機が減り始めた頃、ようやく搭乗アナウンスが流れ、機内へ向かった。機内に流れる、馴染みのないペルシア語のアナウンスに胸が高まる。

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(トルコの空港で、西洋に「さようなら」)

早朝3:30、機内の窓から見える街灯がポツリポツリと灯る寝静まった街を横目に、飛行機は首都テヘランにあるエマーム・ホメイニー国際空港に着陸した。到着したばかりの機内では、女性が一斉に慣れた手つきで、ヒジャブを頭につけ始めていた。

ここイランでは1979年のイスラム革命以降、イスラム教に基づく法制が轢かれており、女性は外出時、ヒジャブを着用することが義務づけられているためだ。ヒジャブの着用以外にも、飲酒禁止、未婚の男女間のイチャイチャ禁止、女性の一人旅の際には、警察署に届け出が必要となるなど、イスラーム法に則った厳格なルールがこの国を支配する。しかし、ここ数年の間に、女性のサッカー観戦が認められるなど状況は少しづつ変わりつつある。街の大きな公園内を散策していると、人目を避けるように大木の木陰に隠れて、手を握り合うカップルの姿を何度か見かけた。愛を求める若者は万国共通、神をも恐れないのだ!?

事前にイラン大使館でVISAの申請を済ませていなかったため、到着後すぐに入国ゲート前にある「Visa on Arrival」(通称「アライバルビザ」)の申請窓口へと向かった。見慣れないペルシア語に戸惑いながらも、案内板のイラストを頼りにどうにか申請窓口に到着。早朝のためか、人影はまばらだった。窓口で滞在先の住所や電話番号、パスポート番号、入国目的などを記入し、強面のおじさんにビザ申請用紙を手渡す。

機内では外国人の存在には気がつかなかったが、アライバルビザの申請窓口の周りには20人近くの旅行者がビザの発行を待っていた。西洋人バックパッカーに混じり、アジア人(多くが中国人と思われる)の姿もちらほら見られた。

近くに立っていた、家電メーカーに勤めているという中国人ビジネスマンと、たわいもない話をしながら時間を潰した。欧米の経済制裁が課されているイランでも積極的に自国製品の営業に勤しむ姿に、経済覇権を握りつつある国の勢いを感じた。

しばらくして、彼の名前が窓口から呼ばれると、彼は忙しそうにスーツケースを引きながら去っていった。その後も同時間帯にビザを申請した人が次々とビザを受け取っていくが、一向に自分の名前が呼ばれる気配がない。それどころか、僕より後に申請した人が、先にビザを受け取っているではないか。もしや忘れられているのではと思い、念のため窓口のおじさんに声をかけると、低い厳格なトーンで「手続き中」との返事がかえってくるだけだった。

忘れられている訳ではないのなら、根気良く待つよりほか仕方ない。先ほどまで闇に包まれていた街には、もう朝日が照りつけていた。4、5時間は経っただろうか。ようやく名前が呼ばれた頃には、時刻は8時を回っていた。4時間以上立ちっぱなしだったため、まだ1日が始まったばかりというのに足はもうクタクタだった。ともあれ入国が許可されたことに、思わず「ふーう」と声を出しながら深い息をついた。

これは後に、テヘランで寝床を提供してくれた友人から聞いて判明したことだが、どうもイスラエルへの渡航歴が問題となっていたらしい。テヘランで泊めてもらう予定だった彼の自宅には、朝5時近くに入国管理局の職員から電話があり、僕についていろいろと聞かれたらしい。朝早くからお騒がせしてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。互いに敵対するイスラエルとイラン関係の余波を、こんな形で受けるとは思ってもみなかった。

以前、イスラエルを出国する際にも、出国検査で疑いの目をかけられ、荷物を全て開けさせられた上に、靴下まで脱がされて全身をチェックされたことがあった。どうも空港での手続きは、スムーズにいかない運命らしい。

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(車線なんて御構い無しに、ぶっ飛ばすおじさんの横で。)  

入国ゲートを抜け、預けた荷物を回収しに、荷物引渡用コンベヤーへ向かうが、時すでに遅し。5時間以上前に着いた便の荷物が今も、孤独にグルグル回り続けているのではとの微かな希望は、一瞬で消え去った。そこから、空港職員と「ここでもない」「あそこでもない」と言いながら建物内をグルグルと回り、入国ゲートの隅に無造作に置かれた荷物の山の中から、ようやく自分のバックパックを見つけ出した。

荷物を受け取り、出口を出ると、閑散とした空港ビルには、なんとも言えぬイスラム情緒溢れる雰囲気が漂っていた。それでも出入り口には、「タクシー」「タクシー」と声をかけるタクシー運転手のおじさんらが、客引きに勤しんでいた。飛行機で4時間ほどしか睡眠をとっておらず疲労が溜まっていたため、勘に任せて、適当に感じの良さそうなおじさんを選び、身を委ね、テヘラン中心部へと向かった。(帰りにイラン人の友人が呼んでくれたタクシーは、行きの半額ほどの値段であったことから推測されることは、僕がこの時点で完全にぼられていたということだ。)

つづく.....


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