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「スバル360と夕焼け」

「三丁目の夕日」は、ほのぼのとした画風と内容で、僕の大好きな漫画作品のひとつです。

作者の西岸良平氏は、昭和22年生まれだそうですから。

僕よりはちょっと年上ですが、漫画「三丁目の夕日」の世界は、昭和30年代が舞台に成っているそうですので。

僕が、子供時代を過ごした昭和30~40年代ともかぶるもので、作品により親近感を覚える事が出来るのだと思います。


その頃の、僕の田舎がどのような町だったかと言うと。

場所的には、ちょうど関東平野が終わり、山間部への入り口辺りにある田舎町だったのです。


当時は、まだ自家用車に乗っている人は殆どなく。

走っているのは、トラックやバスや、仕事関係の車が多かったのです。

ちょっと幹線道路を外れると、まだ舗装もされていない砂利道のような所もまだ残っていました。


その当時、僕が、とても驚いた事がありました。

それは、僕の家は、学校の近くにありましたから、それでもまだ開けている方だったのですが。


そこから少し離れると、小さな山があるような、今でいう里山のような場所に成るのです。

僕が、初めて、そこへ行った時のこと。

まだ舗装されていない砂利道を、僕が歩いてゆくと、道の真ん中で寝ている子供がいたのです。

いくら田舎道といても、車が走る道です。

そんな所で、子供が寝ているという事に。

僕は、驚きと言うか、ショックを受けたのでした。

しかも寝ていたのは、幼子ではなく僕の同級生だったのです。

僕が近づくと、「あーあ、よく寝た」とでもいうように、むくっと起き上がると何処かに行ってしまいましたが。

当時は、そのように裏道に少し入れば、車もめったに走らないような時代でもあったのです。



そんな田舎町にも、朝鮮戦争における特需や、その後の高度成長期における好景気の影響でマイカーの時代が訪れました。


当時、いちばん最初に車に乗り出したのが医者や学校の先生だったのです。

しばらくすると、学校の駐車場に、先生たちの乗る車が並ぶようになっていったのでした。

その車が、スバル360でした。

この車は、小さくて丸くて、とても可愛らしいフォルムをしていました。

今思うと、とても小さくて、作りもちゃっちい気もしますが。

当時としては、庶民の憧れの車だったのです。



そんな事を、ふと思い出していると。

何だか、トコトコと走るスバル360の姿が、夕焼けに照らされた郷愁の彼方に、「ああ、懐かしいな」と見えるような気がしたのでした・・・。






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使用画像 ACイラストより

2023.2.11

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